明日がくることに怯え続けていた
いつからかなんてもうはっきり思いだけないけれど、10代にもならない頃だとおもう
よる布団に入って、目を閉じて、「起きたら明日だ、どうしよう、どうしたら」と思う自分に、明日ある良いことを必死に考えていた
明日は友達と遊べるかも、
漫画雑誌の発売日、
学校にいけば友達と会える、
とにかく希望になりそうなことを自分に言い聞かせ続けた
そうやって大きくなって今
もうなにもない
友達はいる、集まりに声をかけてくれる人もいる
そうやって予定いれて楽しみを作ってるけれど
それも憂うつさが強くなってきている
昔好きだったものへの気持ちも薄れてきて
病気になったときに大きな諦めの気持ちがうまれて
夢もなにもないけれど毎日は続き
顔はにこにこしているけど
希望が限界にきている
残りかすさえもなくなったときが
自分の最後なのだろうと
今はその時をまっている
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小瓶主です、お返事ありがとうございます。
小学生中学生の頃はなんとか明日の楽しみをひねり出せていたけれど、もうネタ切れなんですね、端的に言うと。
あと、好きだったものも今はこう、自分の中で良さがあまり見つけられないといいますか。好みは変わりますね。
新しいこと、新しい人間関係。みつけられるといいです。
ななしさん
何か一つでも毎日に楽しみがあるといいですよね。私は日々寝るのが楽しみですよ。寝ている間は辛いこと、悲しいこと、全てを忘れて夢の世界へ行けますから。「明日が来るのが怖い」という意識から、「寝るのが楽しみだ」くらいの意識に変えてみたら、少しは気が楽になるんじゃないですか?
人間、寝ないと生きていけませんし。確かに明日は来ますけど、寝る時間も必ず来ます。だからそれが楽しみでも良いと私は思いますけどねー。
ななしさん
すごくわかる…。
心が疲労困憊で無になりたいよ…
楽しみがなくなってしまったという感じかなと思いました。
人と会ってもどこか引っかかっているような印象でした。
人と長く付き合うには我慢や堪えることが必要と感じているなら、逆にやりたいことをしても受け止めてくれる人に厳選すればいいのではないかと思いました。
きちんと認めてくれる人がいるなら大切に出来ると思いますし、大切だと感じることができれば自ずと他の人はこのくらいでいいと余裕が持てます。もちろん他の人をないがしろにしてはいけないですが、余裕の幅が大きければ大きいほど憂鬱さも余裕に変えられることができると思います。
新しいことをすると、新しい発見があり、
新鮮な気持ちが生まれます。
今まで繰り返してきた日常に飽きてしまったのでは。
今までしたことがない物事をやってみると楽しいですので、一度何にでも手を出してみるのをオススメします。
最期を待つなら思いっきり今の世界を楽しんでみてはいかがでしょう。
と僕は思いました。
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