褒められたいのに、褒め言葉が信じられないです。
その理由としては、自己嫌悪と承認欲求と人間不信の3つを拗らせているせいだとはなんとなく思います。
無能な自分が嫌い→褒められたい→褒められるはずがない/褒められたとしても嘘だ、お世辞だ、何か裏がある→自分は無能だ……のループ。
正直、格上の人から褒められると、「内心クソだと思ってるけど、程度の低い人にも平等に接する素敵な自分を演出したい」、「この程度の人間は褒めときゃ褒め返すだろう。持ち上げ要因が欲しい」等の裏があるんだと思います。
それ以外に格上の人が格下の人を褒める理由がありますか?
私は人より上になったことがないので分かりませんし、お世辞で褒められると不快感を感じるので、相手には同じ事をしないように心がけています。
学校や仕事などのシーンでは、演じることが必要なので、ビジネスライクのお世辞だと流せるのですが、個人的な付き合いで褒められると、信じたいのですが、信じられません。
最初の方は大丈夫でも、段々とその葛藤が積み上がっていって、その人間関係をばっさりと全部切ることをここ5年くらいで少なくとも3回はやってますね……
お世辞と本心見抜けるようになればきちんと大丈夫な人とダメな人が見抜けて、全員と切るなんてことはなくなるので、その方法が知りたいです。
ななしさん
自己嫌悪をどうにかすることかなあと思います。
褒め言葉をお世辞か本心かって、「見分ける」んじゃなくて「感じる」ものなんですよ。
自分でも「私スゲー!!この出来映えはスゲー!!」て思うものを褒められたら本心だと思う。
逆に「何これ…○時間もかけてこの程度かよ」て自分に失望するものを褒められたらお世辞だと思う。
そんなもんです。人間て。
そもそも相手の心なんて見えないんだから、相手目線での本心かお世辞かなんて、いくら考えてもわかるはずないんですよ。
いつだってその判断は、自分目線でしか出来ないんです。
だったら相手の褒め言葉が本心からだと思えるくらい、周りに恥じない言動をしたり姿を見せたりするしかないんじゃないかな。
それで自分に自信を持てるようになるしかないんじゃないか?って思います。
ちょっと考えてみて欲しいのですが、「恥ずかしくない」とか「誇らしい」「胸を張れる」みたいな姿がどういうものか、主さんはちゃんと把握していますか?
「こんな人なら褒められるだろう」っていう具体的なイメージがありますか?
自信がない人ってそれが無いんです。
なぜなら、どんな成果をあげても結果を出しても、「それをやったのが(自分でもダメ人間だと思う)自分」ていうだけで、途端に価値を見いだせなくなるからです。
他人がやったら素直に褒めてあげたくなるような行動でも、自分がやったら「こんなことくらいで」「まだまだ人並み以下」とか思ってしまう。
だからまずは、「素敵な人間」をきちんとイメージして下さい。
自分がそれに沿うこと、またはそれに近いことが出来たら、その自分を認めてあげて。
そうして自己嫌悪を少しずつ薄めていきましょう。