本当に努力が出来ないって、これほど致命的だとは思いませんでした。
努力と言うのはいわば人生の燃料のようなもので、何をするにも必要で付き纏う者です。
それにみーんなが、努力を美徳だと考え、して当たり前、才能の関与しない誰にも平等に与えられた下克上の権利だと信じています。だからこそ、絶対に理解されません。
努力出来ない人間は人格否定されて当然だとみんな思っています。私自身、悪いこととは思いません。他は違っても努力出来ない事は決して許されません。
このことが本当に辛いです。努力が才能なのか、そうでないのか分かりません。実際に私が甘えているのかも分かりません。でも、どうしても出来ません。
そうして、努力をし、楽しそうに生きる高学歴な人間に異常なほど嫉妬して生きています。
ネットに逃げるも行き着く結論が決まって自分の努力不足なので、もはや私の人生は良くなりようがないと思います。
容姿にコンプレックスを持っていた数年前がどれほど良かったか、と思います。努力で改善できないだけ、理解してくれる人もいました。でも努力はそうもいきません。
私はこうやって自己憐憫に浸ることでしか精神を保てません。そう言う自分も気色悪いです。死んでしまえたらどれほどいいかと思います。でも決してできません。怖くて仕方ないです。
ななしさん
主さんの言う努力って、どんなものを指してるのでしょう?私は主さんが努力をしていないとは、正直思えないのです。
その理由は、これだけ簡潔で読み易く、尚且つ思わず唸ってしまう巧みな表現力 (努力は人生の燃料、下克上の権利等) を持ち合わせている事です。最初に読んだ時、「ああ、すごく分かる!!よく言葉にして下さった!」と思ったものです。
それが仮に誰かの言葉を拝借して書いたものだとしても、これだけわかりやすくご自身の言いたい事を表現出来るスキルというのは「天才」か、あるいは主さんが「ご自身でも自覚していない努力」をこれまで積んできたかのどちらかだと思います。
苦痛を伴うものだけが、努力ではありません。「楽しい努力」もあれば、自覚しづらいですが「無痛の努力」もあります。また、「努力してる風に魅せる努力」なんてものもあります。これは他者から承認を得るための努力ですね。
さて、冒頭の疑問に戻りますが、主さんの言う努力ってどんな努力でしょう?
これは持論ですが、苦痛を伴う努力 (やる気!根性!熱意!みたいな) はやりたい人がやればいいのです。私なんか、そういう努力は全く向いてない性質なので、無痛の努力を増やす方へと年々シフトしていっております。人によっては、努力してる風に魅せる努力に全力投球されてる方もおられますが、それもその人の生存戦略。
(文章を読む限り恐らく主さんの悩みは努力出来ない事そのものではない気もしますが) 努力を別の観点で捉え、ご自身に合った努力の質を選んでみるというのをお勧めします。文章から洞察力がある方だとお見受けしたので、思考力の高い主さんなら主さんに合った努力が出来ると思いますよ。