みんなとても狭い決めつけの世界で生きてる。
自分が経験したもの、自分が置かれた場所で見えるもの、
それだけが全てじゃないのに。
たかが一人の人間がその人生の中で経験できる、見聞きできるものなんて
本当にわずかだというのに、
そんな頼りないものを全ての基準にして推し量るとは、
どれだけ愚かなことかわからないのだろうか。
川の向こう側には異星人が住んでいるわけじゃない。
自分たちと同じ、寂しさも喜びも悲しみも苛立ちも何もかも持っている人間がいるのに。
こうすべきじゃないとか、こうすべきだとか、
小さな価値観で他人をはかって非難する人たちは、
怠惰な幸せのぬるま湯に浸かって、安全なところから無駄口を叩いてるだけ。
叩かれている人たちは、
そんな無駄口を叩く暇なんてないってこと、わからないのかしら?
明日は我が身かもしれないのに、そのとき同じことが言えるのかしら?
あなた方が叩いている人の側に立った時、
叩かれても仕方がないと首を垂れ、
その非難を甘んじて受けることができるのかしら?
その時はその時でまたもっともらしい言い訳をするのでは?
私の「仲間」とされている人たちが、こんな愚かな偏りを見せた時、
私は、実はあなた方が叩いている側の人間なんですよ、と言いたくなる。
そのとき、「仲間」たちは、どんな顔をするかしら?
必死で生きている人間を前に・・・・。
そして陰でどんな批判や陰口を叩くのかしら?
誰一人として、私の本当のことを何一つ知らないというのに、
何をもとにモノを言うのかしら?
自分たちの傲慢さに気づかない愚かな浅ましい人たち。
そのまま幸せなぬるま湯の中で、他人を批判し続けていればいい。
あなたたちの心の中は、そのまま顔つきに現れていますよ。