もう昔のこと。いまだに何があったか全然わからない話。なにか心当たりがあったら教えて欲しい。
当時私は中一だった。二つ下の妹は小五。
結構ぼんやりしてた私に比べてしっかりした妹で、よくどっちが姉なんだか分からんわとか妹がこんなにちゃんとしてんねんからあんたもちゃんとやりいやとか言われてた。
でも、妹はかなりのバカだった。
マジで何の理由もなく学校に行かないで引きこもってて、ちょっと外に出るときとか親のいるところでは手伝いしたりシャキッと受け答えしてたけど私の前だとひくほどダラダラしてる子だった。
遊ぶだけ遊んで片付け丸投げとかしょっちゅうだったし、学校行ってないから簡単な算数すらできないし。
なのに親たちは妹ばっかり褒めてた。私は姉で中学生だから学校に行って勉強できて当たり前、なのに妹は学校も行ってないのに難しい漢字読めて難しい本も読めて偉いねって言われる。
国語とかノー勉で点数とれる最たる科目みたいなものなのに、私が頑張っててもテキトーにしか親は褒めてくれない。
頑張るのをやめたら、親は妹を引き合いに出して「あの子はちゃんとしてんのになんであんたはちゃんとやらんの?」って怒る。
だから私は妹が苦手だった。今から思うと嫌ってたんだけど、お姉ちゃんは妹を嫌いになっちゃダメだってずっと言い聞かせられてたから苦手なだけだって思ってたんだろう。
ある日、雪が積もった。
私の住んでた地域は数年に一度くらいでしか雪が降らないからそれだけでも珍しいのに、積もるってなったらもっとレアだ。だからよく覚えてる。
私も妹もテンションは上がってた。
でも私は塾だったか学校だったかのテストがあるからってリビングで勉強してて、妹は窓のとこで雪見てた。
そのうち妹は外行きたいって言い出した。
雪が積もったからゆきだるま作りたい、雪うさぎも、雪合戦しようって感じでめちゃくちゃはしゃいでる妹に、私は普通にイラッてきて「じゃあ勝手に行けば!?」って怒鳴った。
まあ勉強してるとなりで呑気に騒がれたらキレるのも当たり前だと思う。
妹はぶつぶつ文句言いながら、幼稚園のときくらいに使ってたちっちゃいバケツを持って出ていった。
私は妹がちょうど窓の下あたりで遊んでるのをチラッと確認して、そっからずっと勉強してた。
そのうちスーパーからお母さんが帰ってきて、なんかいろいろと喋りはじめた。それでお土産のペットボトルのジュースもくれた。それを飲もうと思って、でも私のぶんしかなかったから「妹のは?」って聞いた。
そしたら「は?」って聞き返された。だから「妹のぶんないの?」ってまた聞いた。
「何言うてんの、妹なんかおらんやろ」って言われた。
意味わかんなすぎてこれもすごい良く覚えてる。
何回説明してもお母さんは「妹なんていない」って言ってた。だんだん「勉強させすぎたか」とか「疲れてんの?」とか病院探し出したりしたから話をやめて、妹の数少ない友達のひとりが近所に住んでるから会いに行った。
ピンポン押して、その子が出たから名前言った。〇〇(妹の名前)の姉ですけどって。
「どちらさまですか?」って言われた。
あっちこっち探しまわったけど妹はいなかったし、妹を知ってる人もいなかった。
諦めて、もしかしたら先に帰ってるかもって帰ったらお父さんが「どこ行ってたん」て普通に話しかけてきた。それとお母さんに「そんで妹は見つかったん?」って笑われた。
妹は帰ってなかった。もう日が暮れそうだって言うのに家の中にいない妹のことをこれっぽっちも心配しない、名前すら口に出さない親を見て、ああ妹はいなくなっちゃったんだって何故かすっと腑に落ちた。
というか、当時の私はもうこれ以上なに言っても無駄だって諦めたんだと思う。
それきり妹の話は誰にもしてない。この小瓶が15年ぶりのはず。
家の中にあった妹のものはぜんぶなくなるか、私のものになってた。私のお古でシールの名前を書き換えただけの妹の服とか道具とかはぜんぶ私の名前のままだった。
妹がねだって買ってもらったおもちゃは私が駄々こねて買ってもらったってことになってて、妹の教科書はどれだけ探しても出てこなかった。
もともと子ども部屋のない家で、布団で寝てたから、ベッドがないとか部屋がなくなってるとかはなかったけど。
中学生のときの話だから、あのときの私は厨二病だったんだって家族には思われてるし言われてる。でも妹が本当に最初からいなかったなんて何年経っても思えない。
もしこういう現象、神隠しとかそういうのについて詳しい人がいたら教えてほしい。
15年も前のことだけど私はお姉ちゃんであの子は妹だから、どこかで迷子になってるなら迎えに行かなくちゃいけない。
身バレを控えて漢字は伏せとくけど、タニサキ ミホって子に心当たりがある人がいたら、どうか返事の小瓶で教えてください。
待っています。
一時間で書いた創作です(smiling face)