本当は母に、ただ、愛して欲しかった。
小さい頃より長男から精神的威圧、暴言、次男から物理的暴力や私物の破壊などを受けてきた。
末っ子の僕はそれがただ怖くて怯えていた。
母には何度も助けを求めたが、決まって「あなたにかまってほしいだけよ」との答えしか返って来なかった。自分が我慢すれば丸く収まるのか、子供ながらそう思った。実際はただ物分かりのいいところを利用されていただけなのに。
小学5年の頃、学級崩壊が発生して僕はいじめの対象になった。
いろんな大人に頼った。担任、校長、他のクラスの先生…音楽の先生にまで頼った。でもだれも助けてくれなかった。
父は仕事で帰りが遅く、救いの手の選択肢にすら入ってなかった。そんな僕が最後に頼ったのが、母だった。
僕は母に言った。
「お願い、なんとかして。助けて。」
母は言った。
「そんなこと言われても…早く塾の支度をしなさい。」
その日の夜遅く、僕は台所の包丁を握りしめた。それを逆手に持った。だがぼくはそれを胸に刺そうとするその瞬間、死というものを強烈に意識してしまった。とてつもない恐怖の感情が湧き上がってきた。
死ねなかった。
むしろ死ぬことができなくなった。状況はさらに悪化した。
僕は考え方を変えることで自衛を図った。
僕自身には存在価値はない。愛される価値
ももちろんない。誰よりも下等な存在である。この認識を自分の中で常識化した。
効果は抜群だった。何を言われても、何をされても、あまり心に響かなくなった。悪口を言われても笑っていられた。ただ毎晩泣きながら抱きしめたイルカのぬいぐるみの変わらないやわらかな微笑みだけは鮮明に覚えている。彼だけがぼくの本当の家族だった。
月日が経ち、僕は死に物狂いで勉強して某有名国公立大学に進学した。ここなら親元を離れて自分のやりたいことが見つかるかもしれない、そう思ったからだ。だが、現実は甘くなかった。
主体的に自分のやりたいことを決めて行動する、これが、こわい。理由は不明。ただ、こわい。できない。相談したい。でも嫌われたくないからできない。授業にいけなくなった。
人間関係も複雑になった。ぼくはその複雑な糸に絡めとられ、不安も相まってうつになった。酒を飲まないと不安になるようになった。そうして2年が過ぎた。
僕はいま、親切な先輩の手によってやっと自己の常識の訂正に成功し、前を向くことができそうな気になっている。だが、相変わらず原因不明の恐怖に襲われ逃げ出したくて仕方がない。それに過ぎ去った時間があまりにも長く、精神的遅れを取り返せる気がしない。
そのとき僕は気づいた。こころが小学5年のときに死んだままだから、前に進めないのか、と。
僕は前に進みたい。でも進めない。自分の経験を活かした、誰よりも他人に寄り添える心理師になりたいのに。助けて。お母さん。
ななしさん
俺も裏切られすぎて毎日人が怖くて誰も信用出来なくて鬱になり怯え続け、外にでられない日々がありました。ある日、こんなビクビクしながら何十年も生きるなら、今日を死ぬ気で生きてみようとおもい、1日1日をいろんな事に立ち向かいました。
自分の心は誰よりも頑丈だとゆうイメージを持って。
俺は強いんだって自分にいい聞かせながら毎日を送りました。
毎日を真剣に生きだしてから、自分は人生が楽しくなってきました。
あなたは心が優しい人です。
必ず良い先生になれると思います。
今を乗り越えて、心理士の先生になってください。
今の辛いあなたと、乗り越えた自分が
身になり辛い記憶と乗り越えた記憶が
答えとなると思います。
乗り越えろ。
己に勝て。
絶対大丈夫。