烏羽
そうだな、自分に当てはまる事など一つもない。
俺もそう思う。
だが、世の中には似た状況や、同じような状態の人、例え異なるとしても、近しい場合があるというのも事実だろう。
だから人は何かを見比べられるし、見比べて、解りにくい程の、ささいな違いに惑いもする。
共感しもするし、理解できなくもなる。
自分に当てはまる事がないという事実は、一人一人に、自分だけにしか歩めない人生が存在する事と同じだ。
生きる意味、と問われると、それは解らない。
だが、一人一人が生きている中、思いの強弱、程度の違いこそあれ、「こうしたい」と、先に進んできた過去がある。
それは揺るがない。
だから先へ、生きていこうとする意味は、人それぞれにあるとしても、生きる意味は解らない。
先の事など、確実には誰も解らないからな。
だが、一瞬一瞬をどうしたいか、先へどう進みたいか、という事なら、小瓶主さんの内側に、些細なものであったとしても、既にある筈だ。
探したければすぐにでも見つかるだろう。
顔を洗いたい、歯を磨きたい、何か食べたい、風呂に入りたい、眠たくなったから寝たい…
悩み、考える事。小瓶を流した事についてもそうだ。「生きる意味とは何かと、疑問を持つ」事。
未来の自分から見れば、そういった事の積み重ねが「生きてきた意味」と繋がるのかもしれん。
…という考えも、俺の人生、結局の所たった一人の、一つの経験から来るものでしかない。
考えたいのであれば、そうしたいのであれば、自分自身の生きる意味、生きたい意味、死にたくない理由を、ゆっくり、ご自身なりに色々考えてみるのも良い事かと思う。
(「人生とは何か」という問いの答えは、中々出てこないと思う。だって、まだ生きてて、先に進んでいる、変化している真っ最中だし、合わせて答えも変わり続ける)
ただ、そんな事を言っても、生きてきた意味、根底を考えさせられる事になるような、小瓶主さんの状況というのは少し気がかりだな。
俺の考え過ぎかもしれんし、何を知る訳でもないが、無理はし過ぎるなよ。