「どうして私を支えてくれなかったの」
という言葉を今日、ふざけたヒステリックな調子で友達に言った(文脈は想像に任せる)。
その子は一瞬ギョッとした。
でも、私が笑い始めたのを見て冗談だと判断したのか、すぐに一緒になって笑った。
くだらないし、冗談としてはタチが悪いというか、悪趣味というか、人間性に問題があるのかもしれないけど
「ウワーめんどくさ」
「メンヘラじゃん」
そうやって二人で大笑いしてた。
アハハハハって感じで。
そのことを今、学校の帰り道、雨の中傘を差しながらふと思い出してみて
「あ」
と思った。
目から鱗が落ちたみたいな
憑き物が取れたみたいな
目の前が明るくなったみたいな
なんて言ったらいいんだろう。
「私のことを誰も助けてくれないのなんて、当然じゃん」
ってことに、はじめて実感を伴って気がついた。と思った。
「どうせ私のことなんて誰も助けてくれないでしょ」
と思ったことは何度もある。
でもこんなにも素直に
「ああ、もう私は誰かに助けられることはないんだ」
と思ったことも、そして
「もうこれ以上助けを期待する必要もないんだ」
みたいな奇妙な気分に陥ったことも、はじめてだった。
わたしにはどうしてあれがないのこれがないの
わたしには支えが何もないのに
わたしはずっとこわい
あのこたちはどうしてあんなに楽しそうなの
人間がこの世界がこわい
なにをすればこの苦しみから抜け出せるの
どうしたらわたしは救われるの
誰か一回だけでも助けてくれないの
ってずっと思ってきた。
「どうして私を支えてくれなかったの?!」
もしかしたらそれは、私が本当はずっと思っていた言葉だったのかもしれない。
それが
その言葉がたまたま冗談として口から出て
そしたら私がそれに大笑いしてしまって
それで友達もそれに大笑いしてしまって
心のうちに溜め込んでいた感情を
擬似的に
思い切り解放したような気になって
悪意なく真っ向から否定されたような気になって
毒気が抜かれた、気がした。
助けも救いも報いもなくていいんだ
そう思ったら
今までどんよりとした灰色みたいに感じてた雨に降られた目の前の景色が、急に光を取り戻して、いきいきとし出すかのような感覚さえおぼえた。
そのとき世界中の人間に
「そうだよ、あなたはもう誰かに救われることはないんだよ」
と、あのとき私と私の友達が誰かの絶望を無邪気に笑って一蹴したように
私の幼稚さや傲慢さが
侮蔑されるでも説教されるでもなく、ただ淡々と否定された気がして
「救われることはないんだよ」
そっか、と思った。
どれだけ頑張っても、頑張らなくても、有名無名、功績も罪過も
関係ない。
どこへ行っても、なにをやっても
わたしが救われることはない。
だからもう頑張らなくてもいいし
それでも頑張ったっていい。
そういう類の選択の自由があるという事実を突きつけられた。
だからここで無理にてらったことを言わなくてもいい、言ってもいい
何を言ったっていいし、言わなくても、よかったんだね。
わたしの好きにしよう、と思った。