私の場合は、ほとんどが言葉による奴隷でした。
本当の意味で毒親に気づいたのは38歳の時でした。
若い時に結婚もしましたし、子供も1人いました。
もちろん、毒親に育てられた若かった私が幸せな結婚生活など送れる訳がありません。
振り返って思い出すと、私は夫に悪気もなく母の毒語をそのままコピーして長年浴びせました。普通親に育てられた夫には理解などできる訳もなく、私は、顔を合わせる度に毒を吐いていたように思います。
子供にはできるだけいい母親で居たかったのか、かなり気をつけていました。
賛否はあると思いますが、兄弟は作らない事にしました。比べたくないからです。勉強、成長、性格…など人間としての最低限の尊厳を守るために、兄弟は作らない事に徹底しました。
私は毒に侵された親から解放される事はない。
いつか、子供に対して毒親になってしまうかもしれない。
最悪、ストレスの塊になり家族を殺してしまうかもしれない。
私には、自由はない。
そのループしかありませんでした。
私が1つでも自由になる事を考えた時、まずは結婚生活から離れる事でした。
子供には申し訳ないですが、私は逃げました。
子供から逃げて13年経過しても他に方法は無かったのかと後悔しています。
私も40歳を超えましたし、子供も成人です。
私は毒親と38歳まで居たので、まだまだ洗脳は溶けていません。
頭の中には母から言うわれた言葉が刺さったままで腐りそうです。
早く忘れたいです。
辛いです。
忘れられないなら、消えたいです。死にたいです。
それが最大の望みです。