私はその昔、人を傷付けました。
何故罪のない人を傷付けたのか、理由は思い出せません。思い出したくないだけなのかもしれませんが。私自身が思い出させないのかもしれません。
手を上げました。物を投げつけました。自分の心の弱さから、暴力に逃げました。
自分の心を口に出来ないのが悔しく、手が出ました。
今現在、二度とこのような行いはしないと胸に深く誓いました。私は己の弱さを罪とし、自らを罰する方法を思いついてしまいました。
人を傷付けた過去があるからこそ、人を傷付けたくない。そんな偽善心で今の私の「優しさ」は成り立っています。
こんな私に死ね、と一言言ってくださいますか。
それとも罪はもう忘れなさい、と腫れ物を触るように優しい言葉をかけてくださいますか。
私は私自らを罰することに慣れてしまいました。罰の痛みに慣れてしまいました。
罰されれば私の罪は許されるなど到底思っていません。罰を受けたとて私の犯した罪は、ほんの小さなことですが、私が生きてきた道に記されています。
私の生きてきた道は恥であり、罪です。
私はこれからどう生きていけば良いのでしょうか。
犯罪者でも幸せになって良いわけがありません、罪を犯したのです、幸せになどなってはいけません。
失礼いたします。
名前のない小瓶
102306通目の宛名のないメール
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ななしさん
私も人を傷つけたことがあります。罪悪感で苦しみます
加害者には加害者にしか分からない痛みと悩みがあります
加害者の受ける罰というのは、罪悪感そのものです
私は被害者を守るのはもちろん、加害者を増やさないことも正義だと思ってます
傷つける側の気持ちを理解し、誰かが加害者になるのを止めることができるのは、経験したことのある人間だと思いませんか。
だからこそ、改心した犯罪者として幸せになるべきです
もちろん難しいですよ。私も日々葛藤しています
「誰かを傷つけると未来の自分が苦しむぞやめとけ」
と言う側に回っています。経験してるからできるから
ななしさん
神に委ねてみてはどうでしょうか
私は無宗教ですが、聖書を読みます。
私たちが生まれる何千年と前から神に祈る人がいます。信仰のために戦っている人がいます。そういう現実を胡散臭いとか金儲けだとかで簡単に諦めてしまうより、少しだけ理解してみるのも無駄ではないんじゃないでしょうか。
自分は前科者ですが、今は懺悔の日々です。
どうにもできなくなったら、あとはもう、神に救いを求めるしかないじゃないですか。
てふる
罪と罰。
重たいその言葉の裏に貴方の苦しみがとても強く見えます。
幸せになれない。それは、違うかもしれませんよ?貴方を愛してくれて居る人は貴方が罪を償おうとするその気持ちの分だけ貴方にも幸せになる権利が有る。貴方の優しさの分だけ幸せになる人がいる。
むしろ、ここまで深く考えられる貴方は幸せになるべきです。
名前のない小瓶
罪はみんな持っています。
大きくても小さくても、罪を持っていることは何も特別なことではありません。
自分の成長に必要だったから降りかかった事象であるだけです。
死ぬ必要は全く無いです。
忘れなさいと言って忘れられることでもないと思います。無理矢理押し込めて消したつもりになった気持ちは、必ずフラッシュバックします。
自然に丸くなっていく瞬間まで、手を繋いで生きていけばいいと思います。
その罪が 優しさ という形であなたの血肉になっています。
あなたの優しさを搾取する人間もいます。
そんな人たちには持ってけドロボーでいいと思います。
そんな人たちは、いいものを貰ってもどうせ上手に扱えないので。
搾取して傷つける側から、搾取されて傷つけられる側へ。それでも人に優しくし続けること。優しくする気持ちを持てるようになったこと。
与えることができる人は、必ず与えられます。
その罪を反省することで、人から優しさを与えられる機会を貰ったのです。
私はこれを「罰」ではなく、「ギフト」だと考えます。
キングテレサ
あなたが人を傷つけたくないその気持ちは「偽善心」では無いですよ、あなたが生きる道、それは多くの人に自分の「優しさ」を与える事だと私は思います。
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