5歳からの幼馴染が難病を苦に自死しました。もう4年も前のことです。その訃報を昨年、3年越しに別の友人から聞きました。今私は28です。彼が亡くなったのは24の時です。
長くは生きられないという話を10年ほど前に聞かされており、覚悟は必要だなと思っていましたが、会ったときの彼はまだまだ元気そうだったし、訃報を伝えてくれた友人経由で旅行に行った話は聞いていたので、会わないまま早6-7年が経過していました。(最後にあったのは20か21の時です)
21から26にかけては大学での研究や就職といったことで常に目まぐるしく日々が動いていた(お金もなかったのでバイトもずっとしていました)ので、地元のこともあまり振り返ることなく過ごしていました。落ち着いたら飲みにでも誘おうかなと思っていました。(LINEが普及する以前の交友関係だったので、会うときは基本電話でした)
彼は同い年ながら、どこか大人びていて(半分爺臭いくらいには)年相応の精神年齢をしていた小学生の私にとっては半分悪友、半分兄のような存在でした。家が近かったのでよく一緒に帰ったり、彼の家で遊んだりしていました。私は中学時代にいじめにあって家族とも折り合いが悪く、一度彼以外の友達ゼロだった時期があるので、この人生のほぼ全部を友達だったのは彼しかいませんでした。
歳をとるにつれ、お互いに趣味も嗜好も次第に異なってきており、高校以後は学校も違い、それぞれ自分と会う友人を探してつるむようになっていましたが、それでも人生の節目でちょくちょく顔を合わせる関係は続いていました。
自分が結婚式を挙げるとしたら彼に祝辞を依頼しようかなと思うくらいには、彼のことを20年来の友人だと思っていました。
去年彼の3年越しの訃報を聞いたときに、なんというか信じていたものが足元から崩れ去って行く感覚がありました。
なんで相談してくれなかったのかという怒りとか、死ぬ前に一言連絡くれなかったのが悲しいとか、そういう感情がないわけではありませんが、それはたぶん違っていて、
自分には彼を助けるために努力をする選択ができたのに、その選択をしなかったその薄情さに絶望しているのだと思います。
彼の病のことは高校の頃から知っていて、治らない難病であることは大学に入った頃に知りました。大学は理系に居て、医学部に入り直そうと思えば入り直せる学力もありました。特にやりたかった研究があったわけでも、特に楽しい大学生活だったわけでもなく、すててしまうことに未練はありませんでした。医学部に入り直して彼と共に一緒に病と闘うという選択肢が頭をもたげたことは幾度となくありました。
この選択をなぜ、しなかったのか。ただ、後悔ばかりが募ります。
この一件以来、どうにも生きることに未練がなくなってきてしまいました。それでも生きていくしかないというのは理屈ではわかります。ただ、彼の喪失は、家族との縁が切れている私にとっては15歳以下の記憶のほぼ全喪失に等しいのです。心の錨をおろしていた場所がなくなってしまいました。これからどうしたらよいのでしょうか?