名前のない小瓶
私も何度もリスカしようと何度も腕を切りました、でも、結構リスカって死ねないんです、
私の場合、毎回きっと迷ってしまうのか、出血量が少くて死ねないんです。
救急車で運ばれたりとかはないです。
だけど毎回親が泣きながら車を運転して病院で対応してもらって帰ります。
そのたんびに
あーあまた死ねなかった
ってなっていたんです。 でもそんな時に私の中学の時の親友が亡くなりました。
自殺ではないけど、
その時、親友の両親を見てなんだか分からないけど、死というものがとても身近で、とてもこわくてとても悲しいものだとなぜか感じたんです。
その親友は私ととても似ていて性格や相性もお互いぴったりだと感じていました。
高校生になっても最初は連絡を取り合って支えあっていました。
でも徐々に連絡することも失くなり、たまにその子のことを思い出す程度で会うことはありませんでした。
だっていつでも会えると思ってたふしもあったので。
でもいなくなった、会えなくなった、自分の大切な何かを失った感じでした。
今私は結構年をとって考え直したところがあります。
人って死にたいとは思うけど簡単に実行する人はあまりいない。
なぜかその死にたいという感情はその時だけだからです。
その時だけっていうのは君にとってはとても長く感じると思う、私も長く死にたいって思ってた
でもね死ぬのは一瞬でも悩める時間ってすごく長く用意されてるの、死ぬことは最大の逃げ道だけど他にもたくさん逃げ道はあってどれを選択するか悩める時間はたっぷりあるの、だから私は親友の死をきっかけにその選択肢を決定する事意外考えないでずっと部屋にこもってた。そしたら会いたい人、やりたいこと、まだあるってきずいて、ここにいたらだめだって思って、
私はなんと外国に行ったんだ。
言語も分かんなくて混乱したけど、誰も私を知らないし、私も知らない。
それがとても新鮮で心地よかった。
今は帰って来たけど、他人にどんなことを言われても逃げ道はある、大丈夫、って考えてる。
逃げることは悪いことじゃないし、いいことだときずいたらすごく楽になったよ。
今は死ぬことだけが楽になることじゃないって分かって毎日充実してる。
このことに気づくきっかけをくれた親友には本当にありがとう。
天国で見守っててね、頑張るよ。
長文失礼しました。