ようやく生きる意味を見つけたというか、これからの生きていく指標が少し明確になったような気がするので、長くはなりますがこの気持ちを忘れないうちにまとめておきたいと思います。
今まで私は、人間が生きていく上での絶対条件は「他人の役に立つこと」だと思っていました。迷惑をかけることがこの世で最大の悪で、役に立てなければ生きている意味がないどころかいない方がよっぽどましなんだと、そんな風に思っていました。
一生懸命周りの空気を読んだり我慢をしていくうちに楽しみもなくなり、色々なことが上手くいかない人生と上手く生きられない自分が嫌になってしまって「死にたくない」ではなくて「生きていたくない」と思うようになってしまいました。
幸いなことに家族は私を受け入れてくれたので、久しぶりに実家で過ごすうちに落ち込んでいた気持ちも少しずつ回復してきました。
よく自ら命を絶ってしまいそうな人にかける「価値のない人間なんていないから元気を出して」なんて言葉がありますが、私にとってはそれが何より辛い言葉でした。自分自身に価値がないのは自分が一番わかっているのにそんな無関心にも捉えられるようなことを言うということは、自分のことを見てくれていないのか… どうでも良いと思っているんだと思ってしまいます。
もしこれから先、本当に生きていくのが辛いと思ったとき、自分には「価値のない人間だって別に生きていてもいいんだ」と声をかけたいです。誰かの役に立てなくたって、少しくらい迷惑をかけてしまったって、何も全人類から死んだほうがいいと思われるわけではないんだと。
それから、一人の人間が生きていく意味は他人の為や未来の人類のためなんかではなくて、自分自身の一生を幸せに生きることかもしれないということも伝えたいです。周りの人になんと言われても好きなものは好きだと思っていいし、何より自分が嬉しいと思う気持ちこそが一番大事にしなくてはいけないことなんだと思うようになりました。お勉強が苦手でも、人付き合いが苦手でも、他人の表情を第一に優先するような空っぽな人生を送らなければそれでいい。
趣味を疎かにして神経をすり減らしてしまう方がよっぽどもったいないと。アルバイトが続かなかったり、恋人を作ることができなかったり、世間一般の「普通」になれなくたって自分が幸せなら今はただそれだけでいい。
人にはいつか必ず死がやってくるわけですから、何も今焦って死ぬことはない。いつか死ぬそのときまで、とりあえず好きなことして生きてみたらいいんじゃない? と、いつかの自分に届くことを祈っています。