私は聞いたことがない。
「なぜ、いきるのか?」
はっきりとした答えを
今までどからも
きいたことが ない
明確な 答えすら ない
・金を稼ぐため
・生活するため
・イキルため
…それらしき
もっともそうな答えしか
聞こえてこない。
そんな、
もっともそうな回答で
多かったのが…
「結婚?そのうちできるよ!」
「やりたいこと?
やってるうちにわかるよ!」
「今夢中なことが
やりたい事なんじゃないの?」
「アンタ私より若いじゃない!
希望を持ちなさいよ!
がんばりなさいよ!
私みたいな年寄りになったらねぇ…
(以下意味の無い自分語り)」
…こんな向こう見ずな
相手の想いも見聞きもせずに、
理解もしないままの
投げやりな言葉を投げられ
なんとなくわかったフリして、
でもわからなくていた。
また、宗教やスピも
似たようなことや
もっともらしいことを言い
煙に巻かれ、
気持ちや
しりたかったことや
言いたかったことは
全て闇の中…
そんな消化不良な言葉たちは
モヤモヤし、
イライラし、
腐ってゆき、
私の心を蝕んだ。
何をしたいかわからない、
誰が好きかわからない、
好きな気持ちもわからない、
面白いがわからない、
楽しいがわからない、
嬉しいがわからない、
気持ちがわからない、
私がわからない、
気分が悪いことを
抱えているが、
それも曖昧になり、
消えたくなり、
死にたくなり…
そうしながら、
なんとなくで
生きてしまっている
身体を動かしながら
ダラダラときてしまった。
いつか死ぬし
いつか形をなくしてゆく
…自然の法則にのり、
いつかは
姿を消す。
それがわかっていても
脳味噌(頭思考)は、
死にたいとループを掛け
頃そうとする。
我が物顔で身体を弄ぶ。
おかしな話では…
ななしさん
何故、生きるのか?
難しいし、答えは有りません。多分。
昔の話ですが、「何故、人を殺してはいけないのですか?」と言った若者がいました。これは、もう20年以上、時々、考えてみますが、私には答えることが未だにできません。
命とは何か?結局は、そこに行き着くのかも知れませんが、命って、いったいなんの為に在るのかもわかりません。
脳が死んでも、肉体が不完全でも、意思疎通が出来なくても、生きていれば、命があるのでは?と思うのですが、「なぜ生きているのか?」と問われると、やっぱりわかりません。
生きる為にしなければならない事は、山程あって、それが為。と云う方が多いようですが、貴方も、私も、何故か?と訊かれたら答えが未だに出ていないのかもしれませんね。
有益な事も言えず、申し訳ありませんでした。
ななしさん
なぜいきるのか、明確な答えを聞いたことがない、と言うのが答えなのではないかなと思います。
わたしも何故生まれ、何故いきているのかわかりません。生まれて、育ててもらい、社会に出たから何となくいきている感じです。
時に衝撃的な出来事があったり、誰かと巡り合ったり、子供を生んだり、何かがあると、あぁ、わたしはこの為にいきていたのだと感じたりします。
でもそれらの気持ちは、その出来事があったからの結果論であり、初めからそれがわたしの何故いきるのかの答えでは無いのかもしれません。
わたしは努力家でも真面目なひとでもないので、何となく流されながらもその時々にやってみたいことをして、どうにかなるかなと思いながら生きています。必死に意味を探すのではなく、何となく辿り着いた先が答えの一つでもいいのではないでしょうか。答えもいきる意味も、いき方も、人それぞれ色んな形があるんじゃないかと思います。