いままで僕がしてきた悪事も良い行いも全部見てきた人がいることにしてその人宛に手紙を書くことにしました。神様と名付けます。
神さま、僕は今日、ちょっとだけ泣きました。父が危篤です。何も言葉を交わさないままあとは死を待つだけなんですよね?
なぜですか?
僕は父になんの復讐もできていません。ビリビリにちぎられた僕の作品も、父が親族や病院にかけたイタズラ電話のせいで家族中が泣き暮れたあの恨みも、何も晴らせていないのに、なぜ僕は泣きたいのですか?
そもそも、僕はなぜ男の体に生まれ落ちたのですか?あの男に似てるって思うほど苦しんで、連絡ごとに関するトラウマが多すぎて身動きがすぐに取れなくなるようなこの僕に生きていく道のりなど本当にあるのですか?
生きていると疑問や自分の傲慢さに度々嫌になるばかりです。死ねって口走ることが多いのは大抵自分向けです。自分なんか大っ嫌いです。父が死んだとて何も悲しくはありません。ザマァみろです。
でも父が新たな嫁を手に入れたっていうサプライズの意味がわかりません。外国籍の嫁なんていると治療費が回収できないから心底嫌です。僕ら家族がお金の苦労を死ぬ寸前までしていることはご存知でしょう?
この試練に意味なんてないですよね?
自分は自分の家族などもう求めるようなことはしません。父に似た自分は父に似た父親になるでしょう。父のような夫になることでしょう。そんなのは人を苦しめるという点で地獄でしかありません。
僕は人にまた、救いを求めることも最小限にしていきます。ただ、これだけ努力をしても、時々おこる自殺衝動を押さえつける自信がありません。また死に損ないたくはありません。次はきっと僕を見放してきっと死なせてください。
ps 読んでくださった方々へ
僕のこの文章は自慰行為のようなものです。明日もきっと会社に行ってくることでしょう。
スッキリしたくて書いているだけです。
本当は死にたくなんかないし、なんで死にたいのかこんなに明瞭じゃないです。
でもどっかに死にたいって書きたくてここに書き込みました。
僕は誰かを愛したくてたまらないです。愛されたくてたまらないです。ワガママなんだと思います。でも誰かによく頑張っているね!って言われたいです。誰よりも美しい絵画を描きたいです。誰にも負けない、僕の思う美しいアートを完成させたいです。父の死なんかに構ってる暇ありません。でも現実って恐ろしくて父の死にまつわることで頭がいっぱいです。
神様なんていません。僕はそう思います。
僕はここの掲示板を見ているとそう思います。ただ、誰かのコメントに救われそうになります。本当に自分を気遣ってくれる人がこの世に現れてもおかしくないよなってその片鱗を見ることがあります。
みんな、くじけずにいきましょう?
くじけてしまえばドコまでも人間は落ちることがあると思う。人生を明るくしようとするのは目的に反して血の滲むような努力を必要とするのを僕は知っています。
だから、今ある例え火花のような細やかすぎる光であっても大事に抱えて生きていきましょう?
今、とても心細いです。
やっぱり、追伸まで自慰行為のようになってきました笑笑
でも誰かの力になったら嬉しいなぁ…。