昨日寝る前、とても消えたいと思っていた事を覚えてる。
でも一晩寝たらそんな事はケロッと忘れていた。
昨日そう感じて考えていた事は覚えているけれど、どう頑張っても昨日と同じ気持ちにはならなかった。
人間の細胞は絶えず更新されてる。それは脳も同じ。
昨日の自分と今日の自分はもしかしたら別人で、昨日の自分は寝た時点でシャットダウンされて消えて、今日の朝新しい自分が生まれて昨日までの自分の記憶を受け継いでるだけなんじゃないかと考える。
そしてこれから自分は寝る。
もし自分の考えが正しいなら、自分はここで終わり。
これから自分は脳の中でシャットダウンされる。
そして明日の朝、この思考や経験を記憶として持った新しい誰かが脳の中で作り出されて「自分」だと思い込んでまた一日を送る。
昔の人は魂が心臓にあると考えた。
だから今でも人は魂だとかそういった事を表現する時に自分の胸に手を当てたりする。頭には手を当てない。
でもだんだんと脳の解析が進んで、脳が人格や思考を司るという概念が広がり始めた。
生きるために心臓を移植する事はあっても、脳を移植して同一人物として生きようという人間はいない。
なぜならもし自分の脳を取り出して他人の脳を自分に移植すれば例え生きたとしてもそれは自分じゃなくなるから。
これにはほとんどの人が同意すると思う。
でも、誰もまだ本当の意味で自分というものについて深く探究していない。
まだ技術も社会もそこをつつく必要がないからつつかない。
でも多分あと10年20年もすれば記憶の外部へのアップロードが現実味を帯びてくる。
多分その時になって多くの人はようやく気付くんじゃないかと思う。
そもそも「自分」なんてものは最初から存在しなかったっていう事に。
昨日の自分と明日の自分が本当に同じだと証明はできない。
何故なら実際に私達は細胞レベルでも情報レベルでもまったくの別人になってるから。
今まだそこをつつかなくていいのは1個体の記憶の連続性がまだ担保されているから。
つまり昨日の自分の記録を引き継げる端末がその個体の肉体以外に無いからこれが疑問視されない。
やがて記憶が個体固有の物じゃなくなったときに多くの人が戦慄するんじゃないかと思う