「~~より辛い人はいくらでもいるから○○」みたいな考え方。一見健気で美しく思ったけれど、私は言われたら嫌だ。
まず、「あなたより辛い人はいくらでもいる」と言われた場合。これを言われて反論できる人はなかなかいないと思う。自分や相手より辛い人は、確かにいくらでもいるだろう。でも、だから何なのだろう?
別問題だと思うんだ。この世界に辛い人がいくらでもいるのは事実だが、自分や相手が辛いのもまた事実。こっちが自分のこと幸せだと思ったところでその他の不幸な人たちが救われるわけでもない。
「世界には食べ物に困ってる人がいるんだから、残すな!」と同じ感じがする。こっちがご飯を残さず食べたからといって、餓えている人が救われることはない。
食べ物のロスを無くす目標は大事だと思うが、それなら別な伝え方や例などたくさんあるだろうに、何でわざわざ餓えている人を例に出すのか意味がわからない。それはそれ、別な時間に勉強して、寄付でもした方がよほど助けることに繋がると思う。
てか、無理な量を食べて具合悪くしたら元も子もない…人には適切な量があるし、餓えている人でも満腹になったら具合悪くなる前に残すだろ…。
話が脱線した。
次に「自分より辛い人はいくらでもいる」という考え方。まあこれも、自分を鼓舞する為のものなんじゃないかと思う。それが励みになって頑張れるなら良いのかもしれないけど…私は醜いと思う。
言い換えれば「自分はまだマシ」って考え方なわけだから、自分より下を見つけて見下してるのと同じだと思う。
「可哀想」という感情と似ている。一見優しい感情だが、私は違うと思う。上から目線な感情でもあると思うから。
「可哀想」って言われて、嬉しい人ってそんなにいないんじゃないかな。屈辱的だとすら思うかもしれない。それってやっぱり、相手から見下されているのを心のどこかでなんとなくでも察知しているからじゃないかな。
「自分はまだマシ」だと、自分より下を見つけて安心することでしか幸せだと思えないなんて惨めだと思う。
だから私は「~~より辛い人なんていくらでもいるから○○」って考え方が好きじゃない。
不快にさせたらすみません。これはあくまで私が勝手に思ってるだけなので、「ここはそうじゃない!」って思う方もいらっしゃるかと思います。
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こんにちは
私も「あなたより辛い人はいっぱいいる」
という考え方や慰め方
大嫌いです
そんなこと言われたって
「だから何?」
としか思えないんですよね
あとはこの人は幸せなんだろうなぁ
頭の中はお花畑で蝶々が飛んでるのかもなぁ
としか…思えないです
口が悪くてスミマセン
たしかにそうですよね。
自分は助けことも出来ないのに、涙を流したり同情したりと、自分の気持ちだけを浄化することは無責任だし自分勝手だなぁと思います。
最後まで力を貸す覚悟があればいくら同情して涙を流しても良いけれど、何もせずにただ憐れむことの奥底には「相手より勝ってる」という感情があるのではないでしょうか。
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