愛という物は数値化や存在の証明を出来ないが故に「本当はそれを愛している自分が好きというだけ」と、自己陶酔やナルシシズムのガワでしかないと言われてしまったら反証が出来そうもない。
特にその対象が作品やキャラクター等だと。
では本当に愛しているのか、愛していると、そう主張するにはどうしたら良いのか、とふと悩んでしまった。
愛を語るのさえも自分を飾る行為になるのならば、そもそも想う事さえも、その奥には「こうして愛している私はなんて素敵なのだろう」という感情が眠っているのではないかと疑ってしまうし、それが無い事を否定も出来やしない。
好きと言いもせずに黙っているのが愛、と仮定するのも、そうして愛する自分〜となったら堂々巡りで、どうするのが正解なのだろうか。
ホールデンの言葉を引用して「目と耳を閉じ口を噤んだ人間に」なるのが一番、けちを付けられないだろうか。
答えはきっと存在しないのだろうけれども。
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お返事ありがとうございます。
悩んでいる事が自己の事なので、「そこまで
たくさん書けるのはやはり愛かと。」の掛かる先は自分になるのでしょうかね…?
それはそれで、自己愛が過ぎる感じで何とも言えない感覚です…。
折角のお言葉なのにすいません。
ななしさん
そこまで、たくさん書けるのはやはり愛かと。悩んでるのにスミマセン。
かっこいい言葉でイイな~
愛だ!ホントの愛だ!ガチ読みです♡
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