まだ死んでない。
だったら、生きてる意味を付けてみようか。
自分のためでも他人のためでもいい。もしまだ頑張れるなら、この世界で呼吸しておけるなら、
生きやすい世界のために、この世を生きるのに向いてない私ができることってなんだろう?
訴えなければ勝ち取れないものがあるはず。
「朝起き上がることすら死ぬほど辛い。」そんな人がいることを知らなければ、そんな人のために何か考えることもないと思うから。
それらを発信する力が私にあるなら、生きてる間、自分を救うため、自分に似た人を救うため、文章を綴ることは有りじゃないかなって考えたんだ。
「死にたい」と思いながら、それでも頑張って生きてる人を知ってる。それはとっても凄いことで、そんな彼らに生きやすい世界を提供してあげたいと思う。
でもね、わたしは頑張れないし、頑張りたくない人間なんだ。だから、助けてくれる他人を求めて言葉を使う。これ以上ないくらいのお人好しを求めてるんだ。死ぬまで現れなくっても構わない。ただどうせこのまま死ぬしかないなら、希望を抱き、奇跡を願った。何もできないなら、何もできない者として、不確かな存在に祈り、他者に縋る。
サイテーでもクズでもクソでもよかった。だって生まれてきてしまったんだもの。しょうがないでしょう?死ぬまでを生きるわたしは今、未来に望みをかけて言葉を紡ぐ。これから先を生きる者にとって生きやすい世界になるように。死を望むものが楽に死ねる世界になるように。人は、生き死にを考える生き物だから。生きることにも、死ぬことにも苦しみを感じる生き物だから。どちらを選んでも楽であってほしい。
世界のためでも国のためでも種のためでもなく、人のために人が優しくありますように。
今日も、今日を生きる皆に感謝を。
今までを生き、死んでいった者に冥福を。
幸多からんことを。
ありがとう。
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ななしさん
みんな幸せでいるにこしたことはないけれど、
私はここでこうして、苦しんだりやっとの思いで生きてる人たちの生の言葉に触れて救われてます。日常生活では、自分だけ暗い世界にいるように思えるけど、そんな世界に一人ぼっちではないんだって思えるから。それに優しい人がいるんだって知ることができるというのもありますね。
生きる苦しさを知ってるから、きっとその分人の苦しみに気づけるようになれる、優しくなれると信じてなんだかんだで生きてます。
私ももう少し自分が回復したら、なにかの形で苦しんでる人の助けになりたいなって思います。そんな人がたくさんいて、一緒に優しい世界に近づけていけたら素敵ですよね。主さんにも幸多からんことを。
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