高校の時、集団からイジられキャラという設定で、いじめを受け人間不信となった。だが、今思えば幼い頃からコミュニケーションが苦手で、不器用で気弱な性格だったから、標的にされやすい為にそういうポジションになってしまったのだと思う。大なり小なりどこでもいじめはあるし、ターゲットにされたのは俺に原因があったのだと考えている。だが、その時は本当に辛くて、あと卒業まで何日とか考えていた。心許せる誰かにこの辛さを打ち解けたかった。心許せる人はいたが、自分の弱みを晒すことは恥だとか恥ずかしかったから言えなかった。結局、この事実は誰にも知られぬまま時だけが過ぎた。その時から人間嫌いになってしまったのかもしれない。その後の人生は、他人に素の自分をみせることができなく、人を信用することができず、どこか人を避けるような人生を送ってきた。成人式も行かなかった。いや、友達も少なく怖くて行けなかった。俺は社会に受け入れられないんだから、そういう扱いを受けてきたんだから、俺も他人に優しくできず批判的になった。今の職場は、極力人と関わらなくて済む職人のような仕事だ。いじめから10年以上経つが、今でも復讐心は消えず、チャンスがあれば仕返してやろうとさえ、たまに考えてしまう。時は過ぎても、心の傷は癒えぬままだ。初対面の人は、どうしても警戒心を持つし、相手の発言の裏を読んで、真実を見極めようと詮索する癖がついてしまっているようだ。当然、こんな性格だから友達はかなり少ない方。
もしかしたら、コミュニケーション不足なのは軽度の発達障害なのではないだろうか。一応それなりの大卒だが、当時から物覚えも悪く、要領も悪い。治したいと考えても治せないのである。むしろ、今の自分が今の自分なのだから、それを素直に受け入れて自分らしく生きていこうと前向きに考えるようにしている。だが、ふと人生が嫌になるし友達は少なくて悲しい気持ちになるし、俺は価値の低い側の人間なのだから死んで,楽になりたいと思ってしまう。