みんな読んでて思ってると思う。
最初の方ちゃんと名前呼んでくれたのにって。
多分、それは名前を呼んじゃうといなくなった時に自分も相手もダメージ受けちゃうかなって思うから。
自分は臆病で、人の気持ちなんてさほど分かりません。
ですが、これだけは言えます。
「知ってる人が不幸にあったりいなくなったりするとすごく大きなダメージになる」ってことです。
キミって呼ぶことで、多分自分はその人をその小瓶その時だけの付き合いだとその中だけで定義して、自分の知り合いっていう定義を無くしたかったんだろうなと思います。
嫌な思いをさせたらすみません。
でも、いなくなるってことはそういうことなんです。
その時に味わう絶望感とか「あぁ、また自分は誰かを救えなかった」とかっていう気持ちとかをもう味わいたくない。
だから、名前じゃなくて二人称の代名詞になると思います。
昔に、自分が自殺未遂したときに助けてくれた人がいるんです。
でもその子は逆にいじめられて、学校に来なくなった。
その時「なんで自分だけ助かって、あの子は助けられなかったんだろう」って思ったんです。
その絶望感をもう味わいたくない。
どうか名前で呼ばないことを許してください。
最後にみんなに約束してほしいことがあります。
僕を救う気持ちがあるなら絶対にもう僕の前からいなくならないでくださいね。
じゃあ、また。
RaymondWho
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項
ななしさん
宛メからいなくなった人が、みんな救ってもらえなかったからいなくなったと思っていますか?
私は逆もあると思いますよ。
救われて満足して、もう少し厳しい世界でもやっていけるようになったから、宛メを卒業した可能性もあります。
あなたの救いがその人の力になって、ここから去った可能性もありますよ。
正直、人は人を救いたくても救えません。
救われるか救われないかは、傷ついた人側が自由に決める事です。もちろん、自分が救ってあげたい気持ちで行動するのはとてもいい事です。ただ、それで相手が救われなくても、その責任はあなたには負えません。相手に救われる気が無い場合、あなたはどんなに頑張っても、その人を救う事は出来ないからです。
だから行動しても救ってあげられなかったこと自体に絶望を感じるのは、自分が苦しくなるばかりですよ。
救われるか救われないかの選択権は、傷ついた人にあり、救ってあげようとするあなたには無いという事。冷たい事を言うようですが、人を救いたいと思うなら、大事な事なので、忘れないでください。
ただ傷ついた側は、救われなくても、救ってくれようとする人がいるだけで、安心する場合もあります。どちらかと言うと、救う救われないの結果よりも、私はそれが一番大事なことではないかなと思いますよ。
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項