スポーツをしたり、読書をしたり、旧友とダラダラ喋ったり、世話になった人の元を訪れてみたり。そういうことをすると満足感を得ることができる。ある種それは快感にも似たものなのか。
ただ、肉体はそれを記憶することがない。肉体の使用を含む快楽は必ず直ぐに渇いてしまう。虚しさはどれだけ防ごうともやってくる。肉体は魂の入れ物なのだろうと、そういう時に感じる。
と、精神的なものから来る快楽もまた同じように渇いてしまうのだが、精神的な快楽は何か手元に残るものがない。紙切れ1枚だろうと物体が手元にあればそれで満足感を得られるが、せいぜいこのような場合、代わりは電子のデータだ。数字だ。
そう考えてみると、満足や快楽、やりがいなどは、まったく当てにはならないのかもしれない。
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ななしさん
精神的な快楽を残す場合は、言葉として綴るっていうのが一番残りやすいと思います。日記のようなもので、読み返すとまた忘れていた嬉しかった思いが蘇ったりします。
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