今晩は、夜分遅く失礼します。
私はもう、社会運動とか、政治運動には関わりたくないと願っていますが
そのきっかけの一つとなった出来事について、書かせて頂きたいと思います。
先の大戦での、筆舌に尽くし難い被害を受けた人達への二次加害とも言うべき事を、
私がかなり信頼を寄せていた高名な日本出身・海外在住の平和活動家や、反権力活動家、リベラル主義者等が、新聞やSNSで書いていたことを知って、怒りが込み上げた。
確か、(書くのも非常に胸糞悪いが)<その戦争による残酷な被害は、アジア解放のために必要な犠牲だった>という趣旨の事だったと記憶している。
5年位前の事だったけれど、血が逆流する程の憤りを感じたから、今でもよく覚えている。
彼らの発言を読んで、”この人達、人間の血が通ってるのか?被害者の苦しみや痛み、考えた事あるのか?”と思えて来てしまった。
リベラルとか、反権力の人達から見れば、私がこれから書く事は、まともじゃなく道を外れていると言われそうだけど、
「保守的」「右寄り」とされる人達が、それらの二次加害的な言葉を、憤りを持って批判していたことを知り、
”この人達の発言の方がよっぽどまともに見えるじゃないか!こういう言葉を聞きたかったんだ!”と、胸を打たれ、心の暗い霧が晴れ、嬉しさと深く共鳴する思いが込み上げた事さえあった。
そういう、対抗勢力とされる右派の人達が、多くの人の心に共鳴し、腑に落ちる、心ある道理にかなった発言をきちんとしているのに、
平和運動家とか、リベラルとか、反権力と言われる人達が、
何故、私が見た、いわゆる「右寄り」の人達が発言したような、誰もが得心出来る、血の通った事を言えないのか?と、苦渋と疑問を感じた。
これらの平和運動家やリベラリスト、反権力者達は、高次元の意識でいるつもりだろうが、誠に失礼ながら、
ちゃんと地に足を付けて生活している人達の支持なんか得られないだろう、その人達からはやがて背中を向けられ、時代に取り残され、
信頼も失ってしまうだろうと、冷めた目で見ています。
世間知らずな子どもの寝言と言われるかもしれないけれど、彼らの発言を見た当時は何を信じていいか判らなくなったし
あんな連中を一時でも信じていた自分は、あまりにも馬鹿過ぎると、自分を呪い憎んだし、死ぬほど後悔した。
でも時間が経つと、あんな二次加害的な言葉を発した人達の本質が露になり、私にとってつまらぬ連中と判る、
また自分がどう生きたいかが分かる機会だったのだ、と、苦しく引き裂かれそうな期間を経て、思えるようになった。
ごめんなさい、私のド偏見だけど、
この平和活動家、反権力活動家、リベラリスト達は恐らく、
面倒な、手の汚れる泥臭い事、自分が傷を負ったり苦しみを被ったりするような事は他人に押し付け、おっかぶせて、
安全圏で、耳触りの良いスマートで綺麗な、立派な言葉を並べ立てて、美味しい上澄みだけを浚っていくような生き方をしているんだろうな、と思ってしまいました。
私自身は社会運動関連の事柄から離れて、本当に良かったなと思います。人間らしい心が、遅まきながら、よみがえって来たのではないかと思います。
もっと早く、離れていれば… 残りの人生は、少しでも血の通った、温かいものにしたいです。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
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