データがきらい。
人をデータで
捉えようとすることが
きらい。
友人の親の職業や
政治的主張
経済状況
兄弟の学業における態度…
表層的なものでしか
他人を測れない
自分の両親を
あざけっていたのに、
いざ自分が大人になってみたら
データのバイアスから
抜け出せないことに気づいて
愕然とする。
だから、
もうデータは無視することにした。
たとえば絵。
趣味で描かれた絵を、
技術の巧拙で見ない、ということ。
できるようになった。
うれしかった。
生き物とは本来こういうものだ。
データから感じられるものは
すべて錯覚で、
実際そこには何もない。
空を見て何も感じないのなら
空が消えてしまったのと同義だ。
床で猫がとけていて、
掃除も洗濯も中途半端なまま、
猫のとなりで横になる。
なんて満ち足りた日曜日。
お得意の記号化だと、
今日の自分は何になる?