卒業について考える小瓶。
一時期、といってももう5年以上前だけど、ここでよくしてくださっていた(今みたいなフォローフォロワーの関係ではなく、ときどきお返事のやり取りをする顔見知り、くらいの関係だった)年上の方々が宛メを「卒業」したり、HNを変えたりして、自分の中での何かを一区切りつけていく時期があった。
私よりもずっと大人のその方々は、ライフスタイルが変わったり、あるいはもう宛メを必要としないでも生きていける段階に入ったりして、少しずつ足が遠のいていくようだった。
私は。
大学に入る前後、宛メにマイページができて。
以前からゆるやかに存在したユーザー同士の繋がりが可視化しやくすなり、関係性がより密になっていった。トポロジー、という言葉を想う。
宛メの匿名性に惹かれて利用するようになった私は若い「繋がりたい」の熱に負けて、心が少しずつ離れていって、大学生活の忙しさも相まって、利用する機会ががっくんと減った。
自分より年下の中高生たちの、自分も通ってきたはずの幼さに辟易するくらい日常生活にも疲れていた。
もうここ数年は両手で数えられるほどにしか来ていないんじゃないだろうか。
宛メを卒業することについて考える。
仲良くしてもらった人たちが少しずつ減っていったこと、私も少しだけ大人に近づいたことを思うと、もう潮時なのかなぁという気もする。そろそろ10年目になるし。
別に、卒業しても何も変わらないのだろう。そのくらい、私は宛メに依存せずに生きていけるようになった。成長である。
大人になること、大人としてお返事を流すことが宛メに育ててもらった者の、ある意味責務だと思っていた時期もあった。
それがまた、ちょっとだけ息苦しかった。
今月末にはサポーターの更新時期がくる。
大学4年生(実質5年生みたいなもんだが)になって、お金を稼げるようになった私はまた今年も律儀に入金するだろう。貧乏学生なので大した額でなくて大変申し訳ないのだが。
お金がなくて貢献できなかったクラウドファンディング。たしか月ゆさんが色々動いてくれたと聞いた。中学生の頃に何度かお返事をもらったことがあった。私と2つしか変わらない。誰かのために行動できること、すごいなぁと思う。私はそこまで大人にはなれていない。
サポーターを更新しても、たぶんやっぱり気持ちは離れたままなのだ。ここ数年ずっと。
それでも、ときどきふらっと訪れて、すこーしだけお返事を書く。混沌の中で何とか言葉で世界を分節しようとしていた、あの頃のわたしを探して。
そんなずるずるした使い方をしていくんだろうな、まあそれでもいいのかもしれない。
いくらネットで繋がったって、私たちはリアルの世界を生きているし、リアルの世界で生きていくしかないのだ。
居心地の良いネットの世界をリアルに持ち込もうとする。もっと直接に言うと「繋がる」ための場所ではないサイトで、繋がりたがり、会いたがること。ネットでの関係と生活をないまぜにしてしまうのが幼さだ、と、いう気がする。
一度行った公式のオフ会では、それぞれHNで名乗り、誰も本名も連絡先も明かさず宛メの民として過ごし、そしてまたそれぞれの日常へと戻っていった。居心地がよかった。
宛メを去っていった人たち、宛メから足の遠のいた人たち、みんな尊ぶべき生活があるのだ。
そして私も。
生活に集中できるようになったときが、去り際なのかもしれない。
それはちょっと、寂しいことだけど。
ななしさん
最近、めっきりお名前を見ることがなくなっていたので、どうされているのかなと思っていました。
ご健勝のようで安心しました。
いまここにいる大勢の子達も、いつのまにか離れていくときが来るでしょう。
あなた様を含め、お若い方々に変化の波が訪れるのは当たり前のことですし、そのたびに新しい世界を見つけて、飛び立っていかれますから。
このサイトも生き物ですから、変わっていくのは仕方のないこととは思いますが、やはり寂しいですね。
とはいえ、自分のスタンスは変わらないので、ここには緩いつながりで、のんびり居るつもりです。
また何かの時に、あなた様の小瓶を拾うこともあるかもしれませんね。(ストーカーではありませんので、ご心配なく)