やっぱ、
「一緒に生きようぜ!」というよりは
「一緒に死のうぜ!」って感じ。
今すぐ逝こうとかそういうことじゃなくて、とりあえず生きられるまで生きてみて、最終的に死因が自殺になるとしても、己の日常過ごそうぜ!みたいな。
私は過酷な環境にいるわけじゃないから地獄で生きている人はそれじゃあ辛いのかもしれないけど、私はこうだな〜ってだけ。
なんか、数十年後の死に向かって進んで逝こうぜ!って。
自分で進まなくても勝手に進んでくれるしさ。私はやっぱそっちのほうが楽だなあ、と。ボクのいまのしあわせのかたち。
安定した生活送れていたら、それはそれで幸せかもしんない。
でも前もどっかに書いたけど、地獄でしあわせ見つけたっていいよね。絶望に希望見出したってかまわないよね。
狂えばいいような気がする。壊れればいいような気がする。
そういう僕は、けっこう正常側の人間なんだけれど(自分基準)。
こんな、ただの雑談に、どれだけの人が真剣になるのかわからないからいつもちょっぴり怖い。
「死にたい」というと、なんだか忌み嫌われがちで。
重たいそれは普通の人から好かれないし、軽いそれは本当に死にたい人から好かれないような……
私のは、そうだな……ちょっとした風邪、病気みたいな感じ?「お大事に」って言われりゃそれでいいんだ。
自殺する可能性があるのも、自分じゃ気にしていないし。
誰でも可能性があるでしょ?そういう感覚だから……
切羽詰まってないもん。死にたいと思いながら20年ほど生きてきた実績が自信になっているのかも。
ぼくはもう、ぼくのことをさほど心配してないのだけれど、
自分以外の誰かのことは全くわからないから心配になってしまう。
不安になりたくなければ知るべきなんだろうけど、
正直めんどくさいな……
ま、ゆっくりでいいや。
死ぬまでは、時間あるし。
じゃ!ばいばーい
ありがとうございました
また会ったらよろしくお願いします