恋愛対象は男性。
でもどうしても彼氏が欲しいと恋愛を望んだことはなく、ただ「人間として魅力を感じて付き合うことになるのがたまたま男性であった」という感じで「人間として」の部分の割合が大きく、異性という部分に対してはあまり比重がありません。
自分よりも年上で見た目も老けて見える人にしか安心できない傾向があります。
自分のことを「私」として呼ばなければならないことにも子供の頃から違和感があり、その日本語が嫌で嫌でたまらず、
会社では仕方なく世間に合わせて使っています。
また、アル中だった父親を極度に嫌っていたため他者に父性を求める歪んだファザコンのせいなのか、
自分を「大人の女性」として性の対象に見られたくないという気持ちが40代になっても消えず、
子供として相手にかわいがられることを望み、とにかく子供のように甘えたいのです。
性的なことを除いたスキンシップ(抱きつくことや、くっついていること)や、
それによる絶対的な守られている安心感だけをいつも必要としてしまいます。
体も気持ちも女ではあるかもしれないけれど、性的対象にされないために、
子供っぽく振る舞うことや、わざとおちゃらけたり、汚い言葉を使ったり、男性的とまではいかないけれど
「私は性的対象になる女ではない!」とあえて性的対象にならない雰囲気を作ってしまう癖が昔からありました。
母は、私が赤い口紅をつけたりすることなど大人になっていくことや性的要素に対しあからさまに嫌悪感を持つ人でした。
「子供のままでいて」とよく言われ「大人になったらママに嫌われてしまうから純粋な子供のままでいなくては」と常に思っていました。
親が不仲だったために結婚願望もなく、子供が欲しいとおもったこともありません。
子供よりも、自分を一番に可愛がってもらいたいと思う気持ちがいまだに強いからです。
自分が好んで仲良くなる人たちは、年上の年齢が離れた男性が多く、親と同い年の方もいます。
男性との友人関係はとても自然で気楽で、自分の性自認が男性なのか???と思ってしまうほどです。
女性の友人もいますが、女性には常に気を使う緊張感があり基本苦手です。
男性に性的対象に見られたくはないのに、守られて可愛がられたい気持ちが強く、妻帯者とも仲良くなります。
私に恋愛感情がなくて、ただの友人関係になることは悪いことだと思わないからです。
それを恋愛対象として勘違いしてくる男性もいるのですが、あくまでも子供として甘えたいだけで私に恋愛感情はありません。
自分でもその関係性の加減は何をやっているんだろう…と思いますが、いつも足りていない部分を誰かで補いたいのかもしれません。
世の中から性別や家族の括りなんてなくなってしまえばいいのに…とよく思います。
そうすれば、男女一緒にいることですぐに恋愛対象として見られたり冷やかされたりされずに、
ただ仲がいい人間同士として何も気にせずいられて、
みんなが堂々と好きなだけ「人間として好き」な人たちと時間を自由に共有できるのにな。
必ず誰か固定の人の大事な人にならなくてもいいのにと。(夫婦、交際相手のみなど)
LGBTQの何かなのか、家庭環境によるファザコンの影響なのか、
恋愛対象よりも家族愛を求めていて恋愛というものがわからなくなっているのか、依存対象を探しているだけなのか、
さっぱりわかりません。