いま月1の気分悪いあれ。
一応生物学上女性に分類されるこの身体は、月1くらいで何か大切らしい体の働きがあるわけです。
ヒジョーにメンドクサイ。
死にたいなんていつものことだし、怠いとか苦しいとか……そんなのもいつものことだから平気だ。って思いつつも、プラスで重荷がのしかかる感じ。
不思議なのは、これがあるのに、10年ほど前の私は働けていたんだよなあ……今より酷くなかったから?そういう環境に身を置いてるときは平気でいられるから?大丈夫になるから?
普通のことかもしれないけれど、1人でいるときと誰かといるときは心の在り方が違うのです。
誰かといるときの「つらい、くるしい」と
独りでいるときの「つらい、くるしい」は違うのです。
腕を切るとき(浅いものだよ)、それは必ず1人なのです。
誰かの前で切ることは、ぼくは1度もしたことありません。それは、独りの時にするもので、1人の時にしかできないもの。自分の中ではそんな感じ。
誰かといるからこそ吐き出せるものもあるし
誰ともいないからこそ吐き出せるものもあるのです。
だから、ひとりぼっちも、ぼくは好き。
あ、辛さ苦しさだけじゃなくて
誰かといる楽さや、一人でいる楽さもあるよ。
何かがあると、その反対も存在するから。
続かないから。苦痛もしあわせも。
人といる倖せが終われば、一人でいる幸せが始まる。
人といる苦痛が終われば、一人でいる苦痛が始まる。
これらはいろいろと、人や時と場合によって組み合わせが違かったりするのだろう。
人の数だけ、しあわせのパターンもくるしみのパターンもいろいろ。
あーーー
つらいなあーーー(*ノ>д<)ノ
逃げ出してしまいたい。
【死】というしあわせとくるしみの終わりへ
ただまだ自決用の弾丸は撃たない。
後ろの崖には飛び降りない。
タナトスにはもう少し待っててもらう。
いつでも死ねる。いつか死ねる。
まだ、まだ、生きていられる。耐えられる。大丈夫。
死にたくないから死なない。
まだ大丈夫。まだこの世界で苦しんでいられる。楽しんでいられる。わたしにはまだ、命ある人間として生きていけるだけの力がある。
いや、わたしの力ではなかったか……
そう。誰かの力を借りられている。返すこともできない力だから、もらってるんだね。いただいているんだ。
相当運が良い。何もしないでも、恩恵があるなんて。
何もしないからこそ、だろうか。
頑張らない、頑張れない人間だからこそ、助かっているのだろうか。……やっぱ運かな。
それでも逃げたいけれど。
あれこれ煩わしい。今こうして文字を綴るのも。
じゃあやめればいいのにね。でもやめたところで煩わしいんだ。なにが、って? なんだろうね? とにかく全部。
遊んでても家事しててもぼーっとしててもどんな感情抱いてようと、どんな思考してようと『死にたい死にたい死にたい死にたい……』って。気持ち悪くてしょうがない。
書いてて思うのは、わたしとしてはいつもどおりすぎて安心するということ。「日常だなあ」ということ。
変わらない日々に落ち着きますね。
今日も生きました。(マル)