年々父親に似てくる自分が嫌だ。
家族が自分の思い通りにならないのが嫌な人だった。
じいさんを見てれば本人がそう育てられたのだと容易に分かる。
何か意見を言っても全て否定された。
一度も「そうか、お前はそう思うのか」と言ってもらった記憶はない。
望む望まないに関わらず「感謝」を要求された。
今思えば、感謝をするもしないもその人の自由だというのに。
大人になって表面上上手く振舞えるようになった。
父親の顔色を伺い、何も言えない母の顔を伺い続けたおかげだ。
でも、中身はスッカラカンで価値のない人間だ。
実の親にさえ認めてもらえない人間が、どうして赤の他人に認めてもらえるのか。
自分が他人に受け入れられる人間だとは30年生きて来ても思えないままだ。
自分に関心を持ってくれた女性に対して、とにかく合わせた。
褒めた、持ち上げた、相手の趣味を理解しようと興味のない海外ドラマも観た。
それでも冷たくされた時に「ここまでしてやったのに何て失礼な女だ、義理人情がない」と怒り狂った。
今なら分かる、父親と同じだって。
他人が思い通りにならないのが悔しい、でも父親には俺という「屈服させる存在」がいた。
俺は・・・俺は誰にそうしてもらえばいい?
人に受け入れてもらうには相手の要求を全て受け入れてそれを全て叶えなければいけないと思う。
でも、そこまでしても確率は低いし、そこまでするくらいなら一人でいいって思う自分がいる。
矛盾してばかりのグチャグチャな奇形みたいな存在、それが自分。
親に一度でも「自分の意見や思考」を認めてもらえたら違ったのだろうか?
親は結婚して子を産むのが使命かのように言う。
従妹の子供も可愛い、弟の子供も邪心が無くて可愛い。
でも、俺は絶対に女性を信じることなんて出来ない。
自分すら信じられないのに他人なんて裏切るに決まっている。
特に女性は他の星から来た別の生命体にしか思えない。
自分もきっと父親と同じように子供が「言う事を聞かないこと」に苛立つのだろう。
そして、俺のような欠陥を抱えた人間になってしまうのだろう。
自分の血を分けた子供が自分のようなスクラップになってしまうのなんて悲しすぎる。
書いてたら涙が出てきた。
自分は自分が嫌っていた父親と同じことを他人に要求していたのだと。
そんなの叶うはずないのに、俺にとっての「幼少期の俺」になってくれる存在なんていないのに。
自分がこんな風にはなりたくないと思っていた人と同じことをして、それでいてアイツみたいに報われていない。
何なんだろう、俺って。
いつも、自分が求める「普通」が手に入らない。
ただ「普通」でいいのに、それだけでいいのに。
名前のない小瓶
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お返事が届いています
ななしさん
「幼少期の俺」を、抱きしめてあげたい。
いいんだよ大丈夫だよ、て頷いてあげたい。
色んな事に気付けてるあなたは、父親とは違う。
ななしさん
こんばんは。
吐き出し系の小瓶と察しますので、
お返事要らないと思いますので、こちらもお返事はナシでよいです。
多分、あなたは、あの主さんだと勝手に思ってお返事しています。
(別人だったらごめんなさい、なので、スルーしてください)
ご本人は、今、葛藤中だと思うので、過去も含め
辛い気持ちと向き合いながら大変かと思いますが、
通りすがりから見る限りでは、カウンセリングの伴走のせいなのか?
建設的な苦悩をされているように感じました。
オレにとっての幼少期のオレは、あなたの中にあると
私は思っています。
何よりの最優先は、あなたが「こうして欲しかった」という
悲しみや葛藤を持っているその小さい子を、
あなた自身があやしてあげて欲しいな、ということです。
(あなたがお父さんになってあげてください。育て直しです)
その子が、もう大丈夫だよ、って満足そうな顔をすることが
増えて来たら、多分、そこが、一人前としてのスタートラインだと思います。
前も、幾度かお返事したことがあるので、重複しますが、
私も、他人(私の場合は性別、年齢関係なし)との関わり方が
あなたととても似ています。
なおかつ、生育時に
共感はおろか、理解もされてこなかったので、
こういうのって、パターンなのか知りませんが、その後の
人間関係の歪み方がとても酷似してもいます。
だからといって、個々の歪みは、個々で向き合っていくしか
ないんですがね。
ほんのこの頃ですが、
私も当たり前のように、人間関係というものは
こちらが何でもかんでも合わせるってやり方だと思っていたようですが
どうも、心が健康でまともな人は、
そういうやり方をすると、離れていきます。
つまりは、そういうものを望んでいないということのようです。
子どもの頃から、やったことないことなので
この年齢で始めるのは気持ち的にリスクを感じる部分もありますが、
「オレがオレのために、こうしたいなと思うから選択した」という
ことを、相手に伝えるようにしていると、
(だから、相手には関係ない。当然見返りも絡まない)
そっちの方が、相手さんもこちらの気持ちのようなものが
伝わりやすいのか、意思の疎通が出来ていることが多いです。
私も、トラウマ持ちなので、揺り返しの繰り返しですが、
そんなに方向性はおかしくはないと感じてもいます。
長いですが、特にアドバイスではないです。
こちらが勝手にシンパシーを感じて、書いたのみです。
お互い、腑に落ちる着地点が見つかるといいな、と思っています。
ゆるゆる気長にがんばろう!
まいたん
ななしさん
自分を認める事、それが貴方の課題なのだと感じました。
これは心理学的な解釈ですが。
今の貴方と同じ様に、貴方のお父さんもお祖父さんに育てられ、今のお父さんになったのだと思います。
お父さんも同じ苦しみを進んで来たのかもしれません。
子供は親が乗り越えられなかった課題を引き継いでいく、という仕組みが世の中にはある様です。
お父さんはお祖父さんに認めてもらう事が出来ず、その悲しい記憶故、自分で自分を認める事が出来ず。
自分で自分を認められない、そのバランスの悪さを解消する為に、
周りが自分の言う事を聞く、その状況が必要だったのだと思います。
周りを屈服させる事で、言う事を聞かせられる自分、従わせる事が出来る自分、正しい自分、言う事を聞いてもらえる自分、やっと自分を認められる、そこで何とかバランスを取って、お父さんは生きてきたのかもしれません。
お父さんはお父さんに認められたかった。
もっと承認され、愛が欲しかったのだと思います。
貴方も同じですよね。
みんなもっと愛が欲しかったんですよ。
人に自分の全てを受け入れてもらう為に、相手の全てを受け入れる、合わせる、その必要はありません。
人に自分の全てを、受け入れてもらう、そうしないと、貴方がダメだ、という訳ではありません。
貴方は相手から、受け入れたいと思う部分を受け入れて、イヤだなと感じる部分は受け入れなくてもいいんです。
相手も同じ様に、受け入れたい気持ちと、これは苦手だなぁ、イヤだなぁ、そう思います。
それでいいんです。
始めはお互い少しでいいんです。
受け入れられる部分が少しでいいんですよ。
縁とお互いの気持ちと努力、後はそれで人と人は繋がっていくんです。
他人にわざわざ認めてもらわなくても、自分で自分を認められればいいんですよ。
そんな事言っても、人にも認められたいですよね。
それは愛が欲しいんです。
「幼少期の俺」が、愛を求めているんです。
でもね、この「幼少期の俺」、この子が一番求めているのは、大人になった貴方からの愛なんです。
貴方からの愛を「幼少期の俺」、彼は一番求めているんですよ。
「幼少期の俺」、この子を頭の中で思い浮かべて下さい。
妄想でいいんです。
心の中のイメージで、彼を抱き締める。
貴方が言われたかった言葉を、イメージの中で言ってあげるんです。
私の中にも、「幼い弱い女の子」がいます。
家族に足りない愛、私はこの足りない愛を、私が泉のように心から沸き起こせばいいんだと、子供の頃単純に思いました。
それはとても難しくて苦しい事でしたが、全てを許そう、そう思いながら愛を注ごうと努力しました。
出来ない時もあったけど、努力しました。
自分の中の、愛を求めてやまない「幼い弱い女の子」、この子にも自分で愛を注ぎました。
心が苦しくて悲しくて眠れない夜は、頭の中で、「幼い弱い女の子」そんな自分を抱き締めるイメージをしました。抱き締めながら眠りました。
昔はしょっちゅう「幼い弱い女の子」が出てきて、泣いていましたが、今はあまり出てきません。
私も歳を重ね成長していく過程で、少しずつ過去が癒されていったんです。
節目節目だっり、大きな出来事や、心の変化、そんな事があった時、私は日記に書いて残しています。
吐き出したいネガティブな事があった時も書きますが、時間が経ち、もう気にならない、流せる、そうなるとネガティブなモノは消して行きます。
心が切り替えられた時、ポジティブな宣言を持てた時、そういったモノは書き残します。
なので日記は前向きな内容しかありません。
読み返す事を見越し、未来の自分に応援メッセージを書いている時もあります。
私にとって過去の自分は、泣き続ける幼い少女のままではなく、未来の私を今の私を応援出来るまでになりました。
日記を読み返し自分でそれに気付いた時、自分は頑張ってきた、本当にそう認める事が出来ました。
とっても長くてごめんなさいね。
私は自分の心の問題、家族の心の問題、それらを解決する為に心理学やらスピリチュアルやら呼応する物は調べ、知恵に頼りました。
自分で突き詰めて考え抜いて行動して、自分で自分に自信を付けました。
心の中は自由です。
きっと変われますよ。
ななしさん
私はアダルトチルドレンでした。
あなたもそうなのではないですか?
そういった本を読んでみることをオススメします。
私はだいぶ救われました。
ずっと父親に愛されたかった私を、やっと受け止めてもらえました。
考え方が少しずつ変わって、人格も改善されてきたように感じます。
努力も必要ですし、これからもずっと必要になると思いますが……。
親がどんな人間でも、子供には真っ直ぐ生きられる可能性があります。
このことが、お父さんとあなたにも、あなたといつか生まれるお子さんにも当てはまります。
一緒に、これからをどうにか生きてみませんか。
ななしさん
修行のために
親を選んで生まれてくる。
っていうけどさ、我ながら難問
すぎんだろ、どんだけハードル
あげて選択してんだよって
思うとき無いかい?
まあ。きっつくても最後には
クリアできる見込みがあるから
自分で生まれてくる前に
選択してきたんだろうけど。
しゃーないよね、逃げずに がんばろう!!
ななしさん
うんうん!
わかるわかる!
私も全く一緒でした!
大丈夫!
お父さんとアナタは違う人!
同じだって気づいた時の絶望感
きついですよね
嫌いな父と同じな自分なんて好きになれないですよね
でも大丈夫 気づけただけラッキー
出口はすぐそこ!
今ぶつかってる壁は扉ですよ!
人の評価に振り回されないで
人の顔色うかがわないで
他人に重点を置いて自分を型づくらないで
自分に足りないものを他人に求めないで
嫌いな自分も、どうしようもない自分も一番大事にしてあげられるのは彼女でもなく、親でもなく自分だけですよ!
自分を大事にすると、人も大事にできて、自信もついてきます。
自分を変えられるのは自分だけです。
こんな自分になったのは父のせいじゃなく自分のせいです。
もう少し
もう少し
自分を大事にして
自分を取り戻して!
大丈夫!
ななしさん
【小瓶主さんからお返事きたよ】
皆様お返事が遅くなりました、小瓶主です。
色々なお返事どうもありがとうございます。
まいたんさん、カウンセリングは大分前に止めてしまいました。
何の為に通い続けているのか分からなくなったので。
自分で考えてやっとここまでは辿り着く事が出来ました。
心理学の本は結構読み漁りました。
インナーチャイルドを癒してあげる、とか
自分の思い込み通りに他人は自分を見る、とか
色々な事が書いてありますが、中々「実感」出来ません。
人付き合いの仕方は両親とのやり方がベースです。
仕事は給料という対価を貰うためと割り切れます。
両親の言う事を聞いて代わりに育てて貰うことは等価交換で、
仕事もコレと同じだと割り切れば我慢が出来ます。
その他の人付き合いは分からないのです。
自分が父親に合わせ続けたように相手に合わせても、
なんで対価が貰えないんだろう?そこに自分が納得しない。
いや、自分の中の「概念」にない他人の行動にいつまでも
自分自身が「自分がおかしい」でなく「相手がおかしい」と
思ってしまうのです。
あと何が足りない?どうすれば俺を承認してくれる?
完璧にならないといけないのか?誰になれば許されるのか?
今はこの概念がやや薄れてきましたが、基本は今でもこれです。
イヤな部分があっても受け入れて貰える、が分かりません。
俺の事が嫌いだから受け入れてくれないんだ、に変換されます。
多くは望んでいない、同じ事を返してくれればいいのに、
何でそれさえも望んではいけない人間なんだろうと。
昔よりは少し偏った考えもマシになりつつあります。
無理して何かやろう、何か出来るようにならないと価値がない。
そういう考えは自分の中から徐々に無くなりつつあります。
それでも「自分は受け入れられない人間」という他人への
概念だけはずっとずっとへばりついたままです。
「幼少期の自分」は過去で仕方がない事だったと感じています。
でも、きっと「幼少期の自分」は今の自分が他人の対応に
納得できないように「納得できない、割り切れない」と思って
いるのかもしれません、今も昔も強情な自分は変わりません。
自分が嫌いなのか、嫌われている自分が嫌いなのか迷います。
自分の至らない点を減らしていっても嫌われている自分は
変わらない、ずっと受け入れられないままで、もう誰になれば
いいのか分からない!という壁を越えた先に父がいました。
どうしてあんなに簡単に他人は互いを受け入れあえるのか?
これが今の自分の疑問で、どうして自分はダメなのだろうと。
少しずつは前に進んでいるみたいですが「普通」の壁は
未だに高いままです。いつか辿り着けるのでしょうか?
とても長くなってしまい申し訳ありません。
皆様のご意見を参考に何度も何度も考えてみようと思います。
ななしさん
否定から悲しみが生まれ、肯定から喜びが生まれ、両方の感情を知る小瓶主は、物事を不必要に、偏りなく見なくて済むよう天秤を手にしている。
小瓶主は、
天秤という行灯を以て、夜道を歩んでいる。進むべき道の先と、行き交う人々の顔(本質)は、灯りで容易に区別出来るのに、歩みを進める足元だけは、暗く見えないと嘆いている。
手にした行灯の造りは、人生の経験値の差により、異なるだろうから、先々だけでなく、自らの足元すら明瞭に照らせる 行灯など、滅多に持ち合わせる事など出来はしない。
そんな至極当たり前の状態を、普通ではないと求め続ける姿勢は、厳しくて立派だと感じますが、随分 贅沢な悩みを持った方だとも思いましたよ。
ななしさん
姿形だけでなく思考や言動まで年々似てくると悲しくなってくる。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。