好きとか嫌いとか。の、感情
人の感情が信用ならないものに思えてくる。
例えば私がすごく楽しい人間で学校の人気者だったら
その部分を見て好感を持ったり
逆にちやほやされている私に腹を立てたり
それはつまり流れに反発するかしないかで私への感情が決まるような。
例えばネットに寂しい、って書き込む
大丈夫だよ
あなたは一人じゃない
優しい言葉が返ってくる
でも
ずっとその言葉は続かない
構ってちゃんかよ
お前だけが悩んでるんじゃない
流れに反発する人が出てくるから
でもそういう人達だって
一番最初に私にコメントするなら多分
優しい言葉なんだと思う
タイミング。
みんなが好きだから好き
みんなが好きだから嫌い
人の感情。
最近の私にはそう見えてならない
ななしさん
私は、自分に対する好き嫌いの感情の悩みって、
あの人が悪い、私が悪いみたいな、
右か左か、白か黒かみたいな一元論の雑な見方のほうが
処理がしやすいから、楽かもしれないけど、
実際はいろんな要素が絡んでいると思っています。
自己受容が出来ていないのが、要因ってのもあるし、
(家族間、愛情の基盤がないまま他者と関わる)
好き嫌いも含め、自分も、他人も感情というものは
移ろいやすい(それは悪ではない)ことが、
無意識下で、精神的に、他人にしがみつきすぎているため
認めたくないというのも、原因にある人もいると思います。
(自立の拒絶からくる依存)
私が書いたことは、どれもルーツ部分を見れば
同じような根から派生しているようにも思えます。
そして、こういう人はいっぱいいるだろうな、とも思います。
いい意味ではありません。
でも、付和雷同ではなく、「私が」それを好きだから好き、って思考の人、
きちんと言葉に出せる人、いますよ、少ないとしても。
私は、つき合う人間をふるいにかけてしまう、ってのは
別に悪いことだとは思いません。
>例えばネットに寂しい、って書き込む
>大丈夫だよ
あなたは一人じゃない
・・私は、生命にかかわるくらい、
相当のことがない限りは、見知らぬ人にこのセリフは吐きません。
目にするたび、耳にするたび、この人は一体どういう関係性で
こんな安易なことをほざいているのだろうか?と
いつも、ゾッとします。
(心理的に近い関係性を築いている土台があるなら、わかるけど)
多分、こういう人は「絶対」とか、あんまり考えずに言っちゃうタイプ
かな?と思うことが多いです。
でも、時に、このゾッとするやりとりに、救われる人も、
救われる瞬間もある、という人は、この世に確実に存在しているので
需要と供給のバランスは取れているのだと思います。
なので、お寒いわ~と思う人間は、そこには、絡まなければよいだけの
はなしではないか?と思います。(あたしもね)
まいたん