私は自意識過剰になるときがある。
この人に陰でこう言われているのではとか、あの人は私のことをこう思っているのだろうとか。
他人の思考や意思を自分に関連付けて、勝手に決めつけて考えてしまう。
私は傷つきやすい。
ちょっとした発言でもやもやしたり、もしやこういう意味だったのではと推測して勝手に落ち込む。
そして、自分はこんなだからと心の内で自分を責めて泣きまくる。その後開き直る。
私は自分の意見を主張できない。
間違っていると責められたり、嫌われたりするのが怖い。傷つくのが怖い。
自分の意見があるところは、それが強すぎて、主張したらひかれる可能性もある。が、主張するときもある。
私は人に注目されるのが苦手。
学生の頃、先生が自分のことを見ているというのが苦手だった。成績をつけないといけないので、見ているのは当たり前だが。
教員会議で、進路などの話し合いをされるのを想像するとぞっとする。私のことを議題として話し合うなんて、なんて恐ろしい会議だ。
先生なんて、一人一人の名前なんて覚えてないだろう。顔と名前なんて一致してないだろう。ぐらいでちょうどいいのに。
私を私として認識されるのが、なんだか居心地が悪いのだ。できれば、私個人を認識しないでほしい。
私は極端で差が激しい。
すんごく楽観的で様々なアイデアが思いつくときもあれば、ものすごく暗く泥水の中にいるような時もある。
環境に左右されやすく、振れ幅も大きいのだ。
僕は臆病だ。
一度傷つくと、その人との関係を修復する努力ができない。傷つくのが怖くて、ふみこめなくなるのだ。
本当にずっと仲良くいたい人には、きちんと自分の気持ちを打ち明けられたこともあったが。
私はきっと他の人から見たら、中二病とか陰キャとかオタクみたいって感じなんだろうな。
実際は、誰も僕のことは見ていないし、記憶していないし、考えてないし、みんな自分のことで精いっぱいで生きていると思う。
そんなひどい人間はめったにいないし、話せばわかることもあるだろう。
自分が傷つかないという選択をできれば、もっと勇気があれば、自分を信じることができれば、知らなかった世界を見ることができて、人との絆を深められて、何かいいこともあるのかもしれない。
恐れを手放すことができれば。
でも、こんな自分も自分だ。
悪い部分が出てしまうときもあれば、良い部分が出てくる時もある。
悪い自分と仲良くなる時も、良い自分と仲良くなる時もあるのだ。
間違える時もあるし、その間違いに気づくときもある。
人生は波のように。流れに身を任せるのも悪くはない。
流れながら、ひとつずつ大事なものを拾っていこう。
それを空に浮かべて星にして、自分だけの地図になるように。
迷っても、いつか正しい場所にたどり着けるように。