幸福に生きたかったので、自分の人生はすべて他人事だと思うようにした。
つい数日前までは成功したと思っていた。
だが失敗だったかもしれない。
前述したのは真に幸福で自立した人間になる手段ではなかった。
ただ逃げて流されて、その先にも目を瞑っただけだ。
最近なぜ自分はこんなに人生を俯瞰して開き直ってしまうのか唐突に疑問になった。
そして気付いた、まだ前の自分のままではないか。
成長などこれっぽっちもしていない。
こう在りたくはなくて、自分はもっと真っ当に綺麗に生きたかったはずなんだ。
これは確実に違う。
こうなるくらいなら昔の方が頑張っていたのでは?と思えて仕方がない。
頑張ろうと思っても空回りしてばかりだったから、そう思うこと自体をやめたんだ。
しばらくは無理する人間生活なんて懲り懲りだと思っていた。
でも適度な無理をしなければ人として成長しないのは考えてみれば当然のことで呆然。
期待しない生き方は私にとっては正解じゃなかったらしい。
中二病を拗らせすぎてから紆余曲折あってここに気づくまでざっと4年。悲しくなるね。
いや、最早悲しくもない。私はあまりに無感動に慣れすぎてしまった。
昔はこうじゃなくて、もっと理想に向けて努力したくて、現実との差異がとても悔しくて簡単に泣いて、それを恥じていた。
じゃあ今は何だ?
きっとほんの些細なきっかけでもまた戻る。昔の心境に戻る戻る。
簡単に踊らされて、利用された分を他の人に押し付けて連鎖させて最低を繰り返す。
いやだ。
過去の栄光ほど無駄なものはない。
今の自分が形だけの平穏を保てているのは、今だけの環境にストレスがないからだ。
言うなればぬるま湯。
さて、どう生きたものか。
結論は単純で、ただ努力すれば良いだけなのだと思う。
でも今更もう真っ当な努力の仕方なんて分からない、病まずにできる努力なんて分かんないよどうしたらいいの?
どうすれば良かったんだよ。
僕、自分の人生どうでも良くなんてないよ。
こんなに無感動で良いはずもないよ。
もっと本気でいたかった、徹底したかった。
あのまま続けていられれば楽だったのに、な。
そう思うのをやめるところから始めるべきなのかもしれない。