ふむ、匿名で流した件だからあまり詳しく書けないけど、ベタベタに甘やかしたことがある
Xがまだツイッターだった頃からそのアカウントだけを何年も
甘やかす
それが必要な段階の人に対するにはとても大切な行為で、自信、いや自尊心かもしれない、立ち上がることすら忘れて地面の一点だけを見つめているような状態の相手の手を取ってワルツに誘うような甘やかし方を決して崩さず続けることで取り戻せる、こともある
その人の存在が少なくとも私には必要なのだと気づいてくれる
段階と書いた
誰にでも必要なことではない
徹底的に甘やかす段階が過ぎたら、ここは間違っている、良くないかも、ということは伝えないといけない段階へと移る
今は、否定することを悪だと思い込んでいる世界が広がっている時代でもあるが、
私はこれを間違っていると考えている
言い方を変えて、工夫して
その徹底的に甘やかすべき段階の人にはこれらは必要だ
その人が求めてる言い方と工夫を探りそれを使いこなせるようにならないとできない
そしてその段階にない人がそれを求め続ければそれは途端に「甘え」と判断される
甘やかすべき段階にある人にワンオンワンで向き合ってその人の人生背負うくらいの覚悟がないとできないことだと思っている、一緒に沈んで溺れてしまうかもしれない覚悟だ
それはネット上から発信して社会全体に向けて求めても叶う願いではありえないはずのもの
ここもネットである
ワンオンワンは望むべくもない
管理者の方には申し訳ないが、ある程度甘やかされたらここへ残り続けるべきではない
離れたのちに戻って来れる場所としてブックマークしたなら、ネットではない顔の見える相手、温度を持った生身、その人たちに会いに行く必要があると考えている
厳しい言い方かな?
厳しいんだよ、社会は
207907通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
名前の有った小瓶
お返事ありがとうございます。
私もサポーターになるかどうか決めかねている状態です。
宛メを応援したい気持ちはあるのですが、運営側の考えと自分の価値観に相違があるような気がしていて、サポーターになる=宛メに全面的に同意してると取られるような感じがしてしまい引っ掛かっています。
私は宛メを怪我をした動物を保護して再び野生に戻すようなイメージで考えています。
動物の本来の居場所は野生なので、一時的に保護しても最終的には野生に還すべき。
そして我々の居場所も現実社会の中にあるべき。
現実に疲れたときに一時的に逃げ込むことはしても、ずっと居続けていつまでも現実に戻れなかったら良くない。
もし管理人が動物をただただ保護して治療して餌を与えて続けるだけを是とするのであれば賛同することはできない。
それをするのなら宛メで学校や会社を作って、宛メの中で経済を回して生涯過ごしていけるようにするくらいしてほしいと思ってしまいます。
私は宛メのユーザーの中で現実に戻るために頑張ってる人、頑張ろうとしてる人を応援したいのです。
私自身の最終目的も宛メに頼らなくてすむようになることなので、ただ甘やかし続けますよという考えだったら同意できないのです。
こうやって自分の考えを述べる場所がなかったので長くなってしまいました。
こういった小瓶を流して頂いた主さんに感謝いたします。
ごろー
んー
みんなのように
バックボーンがよく分からない人たちも思うように発言してる
おそらくサバイバルのためのカロリーを取ったあとは
宛メ内でもトップページを見る余裕が出来るとおもうんだ。
その時にまったく違う見方
違うことで苦しんでいる人を見る
世界が少し広がる、他人に気をかけるということを思い出す。。
そんなことをしながら、回復する可能性がわずかにあるそんな場所なのかなと私は思います
> ネットではない顔の見える相手、温度を持った生身、
> その人たちに会いに行く必要があると考えている
なるほど、それが出来るほどの回復ができた。
それまでは甘やかしてあげる段階ですね。
私は基本的にこう思ってます。
生身の人間に相手にいくことが出来るようになってくると
自然と足が遠のいて行きますよ、ここ。
生身の人間に会っても、大丈夫かもしれない。
そう思わせる安心感もたせるために、
全体に対しての言葉なら、
ああいう言葉にもなると思いますよ。
私にはある人の現実が誰かから、懲役刑を受けるような扱いを受けている。
誰の意見が優先されるか。。。
だから、そこから逃げ出すすべはなく、
扱いは悪くなることはあっても、よくなることはまずない。
そんな現実にいきている。
そんな人は普通にいますよね、ここ。
ここはネット。
しかも一緒に沈む接点をもつなんてできないもしない場所。
一緒に沈むことを想像もさせてもらえない、ある意味では残酷な場所。
だから、せめてその人に伝わればと思えば、甘々な言葉になる。
そうでないとわざわざ発言する意味がないと私は思うよ
名前のない小瓶
(小瓶主)
おっしゃること、とてもよくわかります
まだ悩んでいますが、サポーターになるかならないかで言うとなるかもしれないのかなと考えています
甘やかす余裕のある存在がいないと、ここは成立しません
似た境遇同士で共感しあうことにも意味はありますが、肯定しあいそのまま変わることを拒めてもしまう
そのままでは通用しない、通用しなかった社会に変わることなく戻ることはできない
社会の一部が変わってもその全体が変わることはない
それでも背負う重みを分散させるには社会も変わらないとではあるのでしょうが
全員を甘やかすのは私には無理です、一人をというのも今は
でも、
私に余裕のある時だけでしょうが、
時々それは違うかもを言う煙たいおじさんの役割ならやってみてもいいかなと
言い方は工夫しなければですが
名前の有った小瓶
とても同意します。
何でもかんでも甘やかせば良いと思っていそうなお知らせだなと私は感じました。
飢えて死にそうな人に甘いお菓子をあげて栄養補給するのは正しいと思う。
でもずっと甘いお菓子ばかりを延々与え続けてたらおかしくなる。
虫歯になったり太って病気になろうと関係ないし責任も持たない。
危険性も教えない。
あのお知らせでそんな風に感じたのは私だけですかね…。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。