相談にのる空想は、度々するのだけれど。
実際にのるとなると面倒な気はしてる。
私がどういう人物で、『この人に相談したときの対応』がわかってて声をかけてくれているのなら遠慮せず物言える気はするが、それってある程度付き合いのあるもの同士のやつで、ぼくには縁遠い。
空想は、あくまで空想で。どんなに脳内会話シミュレーションしたってそれが現実にそのまま反映されたことはいまだにない。
空想は、理想で。現実は納得のいかない出来になる。そんなもんなのだろう。自分がそう思っているだけで、人から見れば、私があらかじめシミュレーションしてた内容より現実のほうが100点満点のこともあるかもだし。もうとっくに、理想より理想的な行動をしてることもあるかもしれない。
とりあえず、生きてたら、ぼくはまだ笑うこともできるし。しあわせにもなれるんだよ。
誰かを笑わせることも、誰かを倖せにしてあげることもね。
だから大丈夫。
悲しくもなるし、悲しくもさせるから、どっち(生/死)がいいのかなんてわからないけど。
うるせー。
なにが大丈夫だ、このヤロー!ヽ(`Д´#)ノ
と
いうのもわかります。
綺麗事に反吐が出る。
それでも、綺麗事だと言ってしまうくらいにそれらは美しく眩しく、本当に大丈夫でありたいと心から願ってる。
否。それも、うるさいっすね。すみません。
馬鹿馬鹿しい。
死ぬか生きるかしかないつまらない世界は。
死にたくあって、生きたくあって、幸せになりたくって、そんなものも全部いらなくって……貪欲に、いろんなものに喜んで怒って哀しんで楽しんで疲れて疲れて疲れて…… いなくなりたいぼくでいよう。
死ねばいいよ。生きて生きて生きた先で、死ねばいいよ。だっていっぱい疲れた。だっていっぱい人の善意にも悪意にも触れた。いいよ。お疲れ様。もう、自ら死ぬことも惜しくなった人生の先で笑って再会しよう。
じゃあ
またね