【前置き】
4年ほど前のある日に恋人的ななんかそういう奴(ちいかわの文脈、こいなか)に対して綴ったメッセージ…もとい独り言のような無責任な文章が出てきたのでここに供養する。この文章の中身は言語理解だけで繕っただけのメンヘラのそれであることに注意していただきたい。
なお、メンタルヘルス人間が理解のある誰くんの話をするな!という批判もまぁまぁ聞こえてきそうだがここでは聞かなかったことにする。別れてるし音信不通だし……。
また、人向けの文を独断で晒すな!という批判についてはしっかりと真摯に受け止めさせていただきたいと思う。本人が見てたら本当にすまない。ないとは思うが仮に本人から連絡来るようなことがあれば非公開にする。
↓↓ここから本編↓↓
僕は精神的にかなり未熟である。
分かりきっていることかもしれないが、念のため最初にそう記しておく。
僕には人を助けられるほどの力はない。
寄り添うことすらも出来ないような気がする。
なんだったら、僕は好きな人に幸せでいてほしくないのかもしれない。
不幸で思い悩んでいる姿に恋をしているのだろう。
自分の手で幸せにしたとしても、相手の視野が広くなることを恐れてしまう。
自分の元から離れてしまうというのが耐えられないのだろう。
それだったら、
それだったら不幸でいてもらって、「自分は傍にいる」とだけ伝えた方がいいのかもしれない。
僕は最低な奴だ。
人の幸せを素直に喜ぶこともできない。
有り余った承認欲求に支配欲、独占欲。
それらを拗らせるとどうやらこうなるようだ。
自分の方だけ向いていてほしい。
可哀想なくらいに人を幸せにできない。
たとえ不幸と嘆く人に元気を与えても、自分との関係はすぐに壊れる。
同じように、僕が幸せを感じることもないのだろう。
もらった物で一時的に満たされても、愛されていないのだからどうしようもない。
僕も外界を知らずに殻に籠り、絵でも描いていれば良かったのだろう。
精神的に未熟な僕は短絡的で、長期的な幸せは得られない。
こんなことを綴っている時点で短絡的なのは目に見えている。
↑↑ここまで本編↑↑
【蛇足解説】
僕にとって相手は「推し」だった。毎日しつこく一方的に不幸なところも含めて推していることを表明していた。…それも、無責任に。
相手にとってはそれを「対等な恋愛感情」として受け取り恋愛関係に発展することを持ちかけた(考えてみれば当たり前の行動原理だが)。
厄介な僕はそれをあまりヨシとは思わなかったが、推しが喜んでくれるならと受け入れた。
だが、僕は相手の不幸さを好いていた。以前までは報われない可哀想な相手に同情しては「そんなところが可愛い」と無責任な言葉をかけていたのだから。
しかし、恋仲に発展することは相手を幸せにする義務があるのではないかと僕は交際をきっかけに自分本位極まりない葛藤に苛まれるようになった。日中に相手と話して笑顔にさせては、なんだかどす黒い気持ちが頭を渦巻き、毎晩のようにこんなはずではなかったと悶え苦しむのだ。
この文章もそんなある日の晩に綴ったものであり、相手もやろうと思えば見えるような場所に掲載していた。……なんとまぁ相手の事情を考えない行動なのか。今振り返っても自分の行動は常軌を逸しているものだっただろうと思う。
相手にとって僕は「好いてきて鬱陶しいから手元に置いてみたらそれはそれでごねるおかしな奴」であったのには違いないだろうが、当時の僕は本当にこのように救いようのない感性をしていたのだ。
もちろんそんな歪な関係が続くことはなく、相手とはほとんどすぐに破局した。
「不幸になるために付き合っているのではない、幸せになりたいから別れてくれ」と至極真っ当なことを言われてぐうの音も出なかったのだ。もちろんこちらが交際を持ちかけたのではないにしろ、相手の言い分はもっともであり、反論できるような部分が何も見つからなかったのだ。
そこからの僕は友人関係に戻ったが相手とは話すことはすごく難しいものになっていた。いつも通りに趣味の話をしようとしても「交際前のように推し的な好意を表明し直すことは迷惑なのではないか?」「相手が自分を拾わなければ以前のままでいられたのだろう?」などと妄想や攻撃性の合わさった考えが頭を支配して全く話に集中できなくなってしまったのだ。
後、自分本位な感情から僕は友人関係もろともを絶ち切った。
その後の相手のことは住所以外何も知らないし、押しかけることも二度とないが故に会うこともないだろうと思う。
僕にとっては推しを失い恋人を失いなんだか残念な気持ちでいるのだが、相手にとっては「ストーカーじみた気持ち悪い人間とやっと縁が切れた」と内心安堵しているような気がしている。
あの時の僕は本当に気持ち悪い人間であったと思う。というより今も僕は気持ち悪い人間なのだろう。
あれから4年経った僕は今もSNSアカウントのフォロワーが社会に馴染めず呻いているのを見ると同情じみた目を向けて応援の言葉と好意を伝える。希死念慮を持ちながら、現代社会の理不尽を嘆きながら、時には自殺行為に及びながらも生き続けてしまっている可哀想なフォロワーが好きだ。何も変わらず僕は今もフォロワーの不幸を願い続けている。
……「フォロワー愛してるよ!栄養ゼリーでも口に放ってちゃんと寝なね!」なんて薄っぺらい言葉を投げかけながら。