生きてるのがつらい。
死にたい。
何もかもいやだ。
死ぬ方法を教えてください。
名前のない小瓶
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小瓶主の返事あり
お返事が届いています
ななしさん
何もかもいやだ 生きているだけでいいよ
ななしさん
これからの人生は長いよ!
嫌なことがあってもその後には楽しいことが待ってるよ!
だから死んぢゃダメだよ!(>_<)
少なくとも私はあなたにしんで欲しくないよ。
ななしさん
死にたいのは私も同じで、死ぬ方法を教えて貰いたいのも山々ですが・・・・・死んで本当に良いんですか?やり残したこと・・・ありませんか?
今、生きてて辛いのは何のせいですか?その答えを見つけてそれを倒して壊して、それでも死にたいのであれば誰かに言って下さい。
その苦しみを解ってくれる人に何でも言えるような人に。
居ないのなら探して下さい。私は貴方に会ったこともなければ話したこともありません・・・。でも、貴方のことを必要とします。貴方が生きていてくれることを信じます。
ななしさん
生きるていると、確かに辛いことや苦しいことがある。それが多い人もいる。人は様々なことで苦しむ。異性のこと、家族のこと、会社のこと、人間関係のこと、その他色々ある。第一に、自分に無理をしてしまう、そういうことがある。自分に合わないことや自分の力を超えていることにどうしてもこだわってしまって、自分に無理を重ねる、それで力尽きることが多い。自分のことを一番知っているのは自分である。そして自分に力になれるのは他でもない自分自身である。確かに他人に勇気づけてもらったり励ましてもらったりするのも、大事なことだ。しかし、どうしようもなくなったら、結局自分しか自分を助けられる人間はいない。確かに希望を失ったり絶望したり、疲れてしまったり、嫌になってしまったり、そういうことも、多い。自分を責めてしまう、そういう人も多いと思う。かく言う私自身がそうであった。自分が様々なものに影響されて高いところに或は遠いところに目標を置いてしまって、それにしがみついて追求する余り、それに達しない自分を責めたり自分を痛めつけたり、色々した。結局そういうことをしても何にもならないのに、だれも責めることが出来ないけれども何かにはけ口を求めて、結局自分自身を責めた。この世の中には、自分の力ではどうしようもないということが、余りに多い。自分に合わないことも、多い。自分を知らずに自分に合わないことに手を出してしまって自分が苦しい思いをすることも、多い。苦しい時や辛い時に泣くことが出来ない。それは我慢とか言って美徳とされることも多い。かく言う私も、耐えることしか最近までできず、ただ辛さや苦しみに耐えてきた。自分の感情を押し殺して、自分を責めて、いいことはない。ただ苦しい。それに耐えられる人も確かにいるが、耐えられない人も、多いのかもしれない。自分を見限っても、苦しむのは自分自身である。自分を見限らない、そう一言で言っても、そうするのは簡単なようで中々難しい。兎に角、今まであなたは苦しみに耐えてきた。それはどのような苦しみでも、立派なことである。社会的な地位や名誉、財産があってそれを得るのが立派だと思う人は多い。しかし、苦しみに耐えてきたことも、立派なことである。あなたは耐えられないと思うことに今まで耐えてきた。ただ、見方を少し変えて、これから自分にやさしくする、そういうことを知り実行するのがいいと思う。人には確かに様々な境遇がある。そういう境遇にある自分を自分の力ではどうすることもできない、そういうことも、或はそう思うことも、確かにある。死にたい、それは自分が死にたいと思うほど苦しんでいるということである。この苦しみから逃れたい、けれども逃れられない、そう思ってしまうと、確かに辛い。私は読んだことがないから具体的なことは言えないが、フランクルの『夜と霧』という本の名前をよく聞く。自分が読んだ中では、『菜根譚』とかマルクス・アウレリウスの『自省録』が印象的だった。自分を元気づけることも、大事なことだ。自分をいたわることも、大事なことだ。自分が好きなことをして気を紛らわしたりするのも、一つの方法ではある。時間が経つのを待つ、そういうことで何とかなることも、あるかもしれない。希望を持つ、そういうことも大事なことだ。一日一日を生きる。先のことはあまり考えずに、その日その日を大事に生きることも、大事なことだ。今の一瞬一瞬は、過ぎてしまったらもう戻ってはこない。それが一分一分、一時間一時間となり、一日一日となって過ぎていく。そしてそれらの時間は、もう戻ってはこない。ただ、時間が何とかしてくれるということも、ある。ただ、苦しみはそういうことで生ずることばかりではないから、何かの対策を講ずることも、必要なことはある。専門家のところに行くようなことも、必要かもしれない。心のことや精神のこと、経済的なこと、その他諸々ある。人間関係で苦しいということも、あるかもしれない。ただ、何れにしても、冷静さを取り戻すことが、今最も大事なことかもしれない。苦しくて冷静な判断が出来ない、そういうことが多い。今一番苦しい時を乗り切れば、少しずつ冷静さが戻ってくるかもしれない。今苦しいと、永遠に苦しいものであるかのような錯覚に陥るが、何とか乗り切れば何とかなることも、多いと思う。そういう、何とか乗り切ることが必要な時も、ある。外に出て、外の空気を吸う、そういうことが出来れば、外に出て散歩をして見るのも、いいと思う。
色々なことを想定して、長々と書いた。元気を取り戻す、そういうことが結構大事な時がある。最後に、(仏ならば)千手観音に祈ることをすすめて、この辺で書くのを止める。
ななしさん
【小瓶主さんからお返事きたよ】
私のメールを読んでくれて、ありがとうございます。
少し気が楽になりましたが、この気持が消えることはないと思います。
私は、ここまで弱い人なんです。相手の思いがわからない最低な人なんです。
アドバイス、ありがとうございました。せっかくアドバイスをいただいたのに、こんな形で申し訳ありません。
ですが私はもう、精神的につらいです。何も考えたくないのです。
こんな私の心を変えてくれる人が一人でもいてくれれば、今の私は無かったと思います。
私はもう、家族や友達、誰も信用していません。
ここまで私の話しに付き合ってもらいありがとうございました。
ななしさん
死にたいと思う気持ちを打ち消すことは、中々できない。苦しすぎる状況は、中々改善できるものでないということがある。死にたい、そう思うときが、私にも時々ある。生きるのに疲れてしまって、早くお迎えが来てほしいと思うことも、ある。何れにしても、自分に無理をする必要はないと思う。苦しいなら苦しいで仕方がない。
死にたいと思っているときに自分を信じるとか自分を知ると言っても仕方がないと、あなたは多分思うと思う。ただ、他のだれも信用できなくても、自分が自分を信用することが、大事なことだと思う。今まで人に傷つけられ、苦しい思いをしてきた、もう人のことは信用できない、そう思っても、多分あなたの無意識では、自分を信用したいと思っていると思う。人は人に傷つけられて、傷つく。そういう言葉などによって傷つけられ、それが自分を傷つけ痛めつける習慣になってしまうことがある。自分が自分を助けるしかない。自分を助けられるのは自分しかいない。自分は弱い、それでもいいと思う。私は言い方が悪いかもしれないが、弱いと思うなら弱いと思うなりに、生きていけばよいと思う。本当は弱いということではないとは思うが。
自分というのは、中々御しがたい。中々改善に向かうものではない。精神的に追い詰められているときには、特にそうである。自分というのは、中々変わらない。ただ、一寸ずつ方向性を変えて或は見方を変えて、一日一日生きれば、それが一カ月になり一年になる。時間が経つということも、或は時間が経つのを待つということも、物事に対処する上では、大切なことである。
今は、人生に希望を持つことは(なかなか)できないと思う。ただ、今は一日一日生きることを大切にするのがいいと思う。先のことを考えてしまうから辛いと思うこともある。人のことが信用できるかどうかという前に、自分が自分にとって信用できる人間になれれば、いいと思う。死にたいと思う気持ちを消すことは中々できない。ただ、自分が自分を追い詰めてしまっているということも、ある。
自分を癒す、自分をいたわる、そういうことも、大事なことである。自分が好きなことをする、毎日規則的な生活をする、良く眠り、良く食べ、良く排便し(快眠快食快便という)、そうやって、自分自身が規則正しい生活を続け、まずは自分の体にいいことをし、自分の身体を大切にすることから始めるのもいいと思う。
相手の思いが分からないとは言っても、それは色々ある。自分が悪いと思ってしまうと、自分を責めることになってしまう。人間は、試行錯誤しながらやっていくしかないということも、多い。最初から全てが上手くいくとは限らない。自分が誤解しているということも、あるかもしれない。ただ、自分が言いたい事や思っていることが本当に相手に伝わらないということも、ないではない。この世の中には、様々な人がいる。いい人もいるし、いい人でない人もいる。ただ、全ての人がよくないということはない。それはあなたがそれらの人をよく観察していないからかもしれないし、あなたが自分を責めるような或は自分を傷つけてしまうような思考をしてしまっているからかもしれない。この世の中には、様々な立場の人がいる。学校の先生にしても、友人にしても、家族にしても、上司にしても、普通に働いている人にしても、夫々の立場というものがある。人はそれぞれの立場に立って物事を言ったり考えたりしているということが多い。物事を表面的にしか見えないと、そういう立場の違いが分からなかったり、物事の様々な側面が見えないということがある。欲が関わってくると、人間は自分のことしか見えなくなるということが多い。何故なら、それは自分が自分の抱く欲ないし欲求を満足できるかどうかという、自分にとっての最も切実な問題に直面するからである。そういう時、今の人間はたいてい或は多くが、自分の欲を満たすように行動してしまう。それで知らない間に人を傷つけてしまう、そういうこともある。物事には様々な側面があり、この世の中には様々な人間がいて、この世の中には或はこの社会には様々な立場があり、様々な価値観があり、様々な見方考え方があるということを知っていれば、それほど苦しまなくて済むということも、あると思う。
長々と書いたが、この辺で書くのを止める。
ななしさん
それは困りましたね。死にたい気持ちが長く続くようなら、ウツや精神疾患になる恐れがあります。早めに生活習慣の改善をして、完璧主義や、自分を責める事を止めて下さい。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。