毒親に育てられた苦しみが抜けない人はどうしてそのままで子供を産む選択をするのだろうか
どんなに連鎖を断ち切れたつもりでいてもどこかで「自分はこんなに優しくしてやってるのにどうして」的なことを思うんじゃないのかと親を見てて思う
私が小さかった頃、ずっと死にたい死にたいって口癖のように言ってた
最初はそりゃ幼子だったから心配だったり不安だったりでひどく居た堪れない気持ちになったけど、最近は正直もう何も思えなくなってきた
それは死にたい発言だけじゃなくて他のマイナス発言に関してもそうなってきてる
いちいち本気で受け止めてたら心が持たないもん
ただ怪我したとか何かが上手くできなかったとかそういう時の心配は最低限しとかないと、誰も心配すらしてくれないんだねって言いそうだから形だけしてる
でもごめん、多分感情はもう全然動いてない
もっと小さかったとき、確か下の兄弟が生まれてしばらく経ったくらいのときは「私ってだめなお母さんだ」とか「地獄に落ちると思う」とか言ってたのを覚えてる
それは親が育ってきた環境を鑑みると仕方がないと思うし、虐待を連鎖させずに真っ当に育ててくれたこともありがたいとは思ってる
でも、真っ当に育ててやったんだから自己肯定感も育ってるはずだと思うのはなんか違うんじゃないの?とも思うんだよ
10歳未満の子供をネガティブな感情に晒して何も影響しないわけないじゃないか
少なくとも死にたいと思うハードルは格段に下がったよ
まあ私がとてもお母さんっ子だったのと無駄に感情移入する癖があるせいではあるのだけれど
現に兄弟は私と違ってそれなりにポジティブに育ってそうだしね
ストレスの重みが親と私で全く違うって考えること自体は良いけどそれを何か相談した矢先に表に出さないでほしかったとか、
コンプレックスについて一度でも話したらその場では慰めてくれても絶対にどこかで捨て台詞に使ってきたりとか、
本人は愚痴まみれで生活してるくせに私のことはずっとぐちぐち言っててうるさいって言うのとか、
愚痴に対して当たり障りのない反応をすれば、どうせあなたには分からないよねって言われるのとか、
同調したらしたで、自分以外には分からないんだから軽々しく同調するなって流れになるのとか、
全部重みが違うから仕方ないけど
そういう積み重ねで何かを相談しようなんて気にはならなくなった
正直ここにいる大半の人と比べたらかなり恵まれた家庭だと思う、かなり丁寧な暮らしだし
なのになんでこんなに認知が歪みまくってるんだろうな
「私はこんなことをされたけどあなたたちに連鎖させてなくて良い親でしょ」的発言も率直に言うと不思議なんだよ
それは家庭外の人に同意を求める分には良いけど、実子に肯定させるべき言葉なの?
普通だったら虐待は繰り返して当たり前だからそうでないことに感謝しろと言われてもよく分かんないのよ
そうなると虐待されて育った人が「普通」に虐待を繰り返していた場合、虐待しているという事実は変わらないのにその人を責めてはいけないってことになりそうで
でも単に恩着せがましさを感じて鬱陶しがってるだけなのかもね私は
昔はただのネガティブ発言だったからただ居た堪れなかっただけで聞き流せたけど、
最近は攻撃的な愚痴になっているので少々会話が疲れる
簡単に風向きとか変わるしね笑
何を話してたって大体どこかしらが親の幼少期の記憶に紐づいてしまうので、高確率でそちらへ話が流れる
私が現役の学生をしているから仕方ないんだけどね
この上世界の闇とやらにはまって攻撃対象を増やさなくたって良いのに
丁寧な暮らしじゃなくて良いからもう少し情緒安定しててほしかった
あとこれは気のせいかもだけど、私の進路を自分事に捉えすぎてる気がしてる
勉強とか、上手く行かなくて不安になるのは私なのに親まで不安になられても受け止めきれない
最近は諦め気味なのか若干緩和されてきてるけど
もう不安材料を減らしてあげなきゃっていうモチベーションの持ちはできない、ごめん
最後に世の中の闇だの虐待の記憶だのから完全に離れた話ができたのっていつだっけ?
最近は愚痴、からの受け止められると同じ目線に立たれてるみたいで不快、みたいな流ればっかりで
どうして私のことを産んだのか割と真面目に分からなくなってきたよ
でもそもそも私、昔から性格悪かったんだよなよく思い返してみると
取り繕っていい人の振りするのだけが上手くて誤魔化し続けられただけなんだよな
ただ期待外れに生まれてしまっただけなのかもしれないね
私は丁寧に育ててもらったけれども破壊衝動があまりにも強い時があるから子育てなんかとても無理だと思う
自分の作った大切なものから選んで破壊したくなるから子供なんて一番攻撃の対象になりそうだし
でも親は孫の顔が見たいらしい
親の人生あまりに不遇なのでひとつくらい願いを叶えられたら良いとは思うし、私が子供を産まないのであれば産んだ意味はないなどと言われたこともあるので子育てできたら良かったねとも思う
しかし自分の遺伝子を含まない養子なら大切にできるかもだけど養子じゃだめらしいし、
そもそも破壊衝動ありきで他人と共同生活を送れる自信もないし、一人暮らししたら植物を育てるのすら少し躊躇うレベルなのに
子供を持つなんて夢のまた夢すぎる
兄弟のことは親を虐待してきた人々の血筋が濃く受け継がれてそうだから家庭築くべきじゃないとか言ってるし、頼みの綱なんでしょうけれど
でもどこでそんなに私に期待しようと思ったわけ?
感情移入なんてその場だけだよ、いくら可哀想なお話を読んで涙流してたって破壊衝動に駆られたら平気で誰にでも八つ当たりするんだよ
それも自分よりも立場か力が弱い生き物しか選ばないみたい
性格終わってるじゃん
そもそも告白されるだけで引くのに彼氏を作って破壊衝動をなんとかして夫になってもらって子供を持つなんてね
ファンタジーかな?
もっと大人になれば感情制御できるかもって思ってたけどもう成人しちゃってこれなんだよな
回数は一応減ったけど代わりに1回の衝動が明らかに増してて、人目がないところでは何をしでかすか分からない
自分が養う側、世話をする側に回ったとき、殺してしまわない自信がない
現状半年から一年に1回くらいだけど、生き物と暮らしてしまったらその1回で何もかもが終わるんだよ
普段大好きで可愛がってるペットすらただ腹が立っただけで殺したくなる瞬間があるくらいだから
何でこうなっちゃったんだろうね
私は完全に精神が健全になるまでは絶対に生き物と暮らしたくない
仮に破壊衝動が自分だけに向くようになったとしても、形が変わって死にたいと思うだけに戻ったとしても
子供は多分大人より感情に敏感だからいつかぼろが出て悪影響になりそうだから
名前のない小瓶
212865通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
小瓶主さんの小瓶を興味深く読ませていただきました。というのも、私は毒親に育てられて、現在は子育てしているからです。
小瓶主さんの気持ちは全てもっともだと思いました。優しくて共感力がある分苦しんでいるのが伝わってきました。
死にたい、と口をついて出てしまった言葉がどれだけ子どもを傷つけることになるか。少しでも自分の人生を尊べ喜べるように日々訓練しています。
私がもらえなかった愛情や褒め言葉、物を与えられている我が子を見ると、自分に与えられた以上に幸せです。感謝しろとは思わないけれど、心のどこかでそういう思いが潜んでいるかもしれません。
そういう思いが大きくならないように、母親自身が幸せになっていくことが本当に大切なのだと思いました。
小瓶主さんのお母さんもそうなっていってほしいけれど、お母さんを幸せにする仕事は、小瓶主さんの仕事ではないと感じます。
子どもを持つ持たない、は小瓶主さんの自由で、ご自分は今持つべきじゃないというのも立派な判断だと思います。
私は、自分が完全に成熟せずに子どもを持ってしまったけれど、子どもが健やかに成長しているのが私の幸せです。この幸せのために子どもを産んだのかなと思います。
正直、最初は、自分はこどもを持たないと死んでしまうんじゃないかと生きる理由を作るために産んだところがあると思います。でも、その姿勢では子どもを不幸にしてしまうと思って、今必死で自分自身も幸福にしていこうとしています。
どうか小瓶主さんも、子どもを持とうが持つまいが、ご自身を幸せにしていけますように。
名前のない小瓶
子供に精神的ケアをさせてしまう親も、虐待の一種なので、連鎖…しちゃってますね。
前の代よりは改善されてるようですが。
子供を持ちたくなるのは、親が自分の幸せのためにそうしたくなるのです。
歳をとっていく恐怖と老後の不安、孤独への恐れ、世間体など、人はネガティブな理由からも子供を欲します。それを一概に悪いこととも言えません。
あなたは子供です。親子の関係が逆転する瞬間があれば拒否して大丈夫です。親がかわいそうだからって我慢しないで。子供のあなたがかわいそうでしょ。
本来、親は子供じゃなくて病院にカウンセリングをしてもらうべきです。あなたが背負う仕事じゃない。
あなたはもっと自由気ままに、子供らしく過ごしてください。
結婚や子供を持つ事もまだ考えなくて良いです。大人になると状況も色々変わるので、その時に考えれば大丈夫。
親のために我慢しないで。子供時代は子供らしく楽しんでください。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。