グループ展には基本的に参加しない方針。
参加している作家どうし、誰がどのくらい売れているか探り合いがつきもので、不愉快だから。
将来、大規模個展をやるつもりなので、原画は殆ど売らない。
ジクレープリントその他、商品化して原画以外のものを販売する方針で、これまで売り手がつかなかった作品はない。
相場の3倍程度の価格設定にしていても、だ。
何年か前、無知だったころに参加したグループ展で、他の作家さんに探りを入れられた。
質問の調子から、僕の作品そのものにはまったく興味がなく評価もしていないけれど、
「なぜそんなに売るのが上手いのか」
その情報だけを欲しがっていることがありありと分かる。
「買い手がつくかどうかを事前に調べて、見込みのありそうなアイデアしか使わないからですよ」
とあっさり本当のことを答えたら、ドン引きしていた。
「描いているだけで幸せ」
僕はそういうタイプではない。
売れないと不愉快。
それを知っているから、欲しい結果を出せるよう、きっちりマーケティングをやる。
イギリスのMBA学生だった頃にマーケティングの専門書を何冊も読んだ。
絵を描くのとは別の意味で、マーケティングも芸術の一種と感銘を受けた。
専門書も、上質な文学作品に引けを取らないくらい面白い。
この経験が、今になって大いに役立っている。
絵が好きだからといって、絵しかやらないのは得策ではない。
作家の才能を自分の利益のために利用したい関連業界の人達に搾取される。
フレネミーからの身の守り方も分からない。
そのナイーブさが、自分の大切な作品を守り、育て、広い世界に羽ばたかせるのを邪魔することになる。
作家の無防備さが、市場で作品が不当な扱いを受けるのを許すことになる。
自分の作品に最大限の機会を与えることは、作品の親である作家の責務の一部。
自分の子にみすぼらしい恰好をさせ、ろくに食べさせずに、いじめっ子の群れに放り込む。
作家が自分の気弱さを隠れ蓑に心にもない謙遜をして、自分の作品を安売りするのは、これと同じこと。
親の責務を果たすのに、無知とナイーブさは許されない。
加えて、僕はビジネスケアラ―。
高齢者2人の糞尿や食べこぼしの後始末、食が細い2人に2時間おきに少しずつ食べさせるミッションをこなしながら、10分、20分という細切れ時間で制作している。
売れる見込みもない作品に使う時間はない。
「それにしても、そんなつまらない質問なさるなんて、よほどお暇でいらっしゃるようだ」
展示でえげつない質問をしてきた作家さんに追い打ちをかけると、ますますドン引き。
即刻、SNSでブロックしてきた。
結果オーライ。
関わりたくない相手には、自分を嫌ってくれるよう仕向けるのが一番だ。
このときに、グループ展には懲りた。
やはり展示は個展に限る。
あの不愉快な邂逅は、その勉強代と思っておこう。