敵に情けをかける必要はないと言う。
現実の戦争でもそうだったらしい。
ゲームの中でも生かしておいたら後から背後を取られる可能性があるから、それを断ち切るためしっかりキルを取る。
その旨は共感はともかく、理解してもらえる。
ということは、敵に情けをかける必要がないのはある程度正しいのだと思う。
なぜ、その敵が自分自身だと話した途端に皆「それは良くない」と掌を返す?
敵に情けは要らない、自分の敵は自分、なら自分に対してはどこまでも徹底的に詰めて絞めなければならない、と話したらなぜ否定される?
同じじゃないか。敵を詰めているだけで、その旨は肯定したじゃないか。その対象がただ俺自身に変わっただけじゃないか。対象が違えば掌を返してもいいのか?
お互い気付いてなかったとはいえ、あり得ないルールミスで事実上の不正勝利。
対面での態度が悪いため相手を不快にさせた可能性がある。
ゲームで使う編成の一つも自力で組めやしない。
友人と約束した事柄の納期を延ばし続けている。
仕事が忙しいだけで約束を反故にする。
それで休日は何もできず布団の中で無益に酸素と時間だけを浪費。
こんなの社会の敵でしかない。人類の敵である。敵なら、ちゃんと詰めて、駆逐しないと。
敵に情けをかける必要はないと思う。
なのにどうして、自分の敵を詰めることが批判されるのか。