「悪い面しか見ていない」とよく言うが実際悪いことしかなかったのだからどうしろと
無理に前向きに捉えようとさせるのは頭の病気か?
どう考えてもプラスに考えられる事が無いから辛い、というのが分からないのか
精神論でどうにかなるならとっくになっているし、気の持ちようでは現実に起こった出来事は変わらない
「幸せだと思え」も言われるけれど、幸せは無理に思い込むものでは無くて自然と感じるものじゃないのか
嬉しくもない楽しくもないものを騙して無理に思い込んだものは本当に幸せと言えるのかどうか
「小さな幸せ」も聞いていてイライラする
無理に数えろと言われても今の自分には幸せと思える事はないし全く感じず、何の足しにもならないし気休めにもならない
少し雑な例えだけれど冬山の猛吹雪の中マッチを擦っても意味があるか?
山小屋や洞窟のようなある程度雨風を凌げる場所に居ないと少しも温まれないし無駄になるだけ
それと同じ様に人生がある程度満たされていて安定していないと幸せは感じられない
あまりにも人生が悪い事しか起きないと何か多少いい事があっても全て飲み込まれる
これも雑な例えだけれど湖に角砂糖を1つ放り込んで何か変わるか、という話
「人と比べるな」「隣の芝は青い」もそう、そんな簡単に出来たら苦労しない
そもそもこちらはどれだけ頑張っても芝を生やすことすら困難なのに?
自分が苦労しても食料を得られず餓えて死にそうな時にすぐ隣で何の苦労も無く、もしくは自分より圧倒的に少ない労苦で御馳走を食べている人が居たとして何も思わない人がいるのか
これも人生がある程度満たされていているなら可能だろうし、自分が幸せなら他人の状況なんて気にならなくなる
自分がどう頑張っても手にできなかったものを周りが平然と持っている事がどれだけ苦しいか理解できないのか
「人に感謝しろ」「生活できている事に感謝しろ」は反吐が出る
これも強制される事ではないだろうが
自然に出来ないのであればそれは感謝できる状況では無い事に何故か気付かずに妄信的に上から目線で無理矢理押し付けて悦に浸っているのが気色悪い
「マイナス思考を直せ」は聞き飽きた
好き好んでこんな考えになった訳ではない、進んで暗くなる人がいるとでも思っているのか
事故や事件が起きたら原因を徹底的に追究するくせに、なぜか人がマイナス思考になった原因は一切考えようとしないか目を逸らす
精神論でこちらに全責任を負わせようとする
どれもこれも前提が「今幸せな人」「安全圏にいる人」「最初から恵まれている人」になっているのだから出来るはずがないだろう、と思う
大体綺麗事を並べる人は被害を受けたことの無い、こちらの景色を見たことが無いある意味加害者側の人間か温室育ちで頭の中お花畑の人
泣き寝入りしてくれた方が都合がいいから耳障りのいい言葉を言っているだけ
自分が少しでも被害を受けそう、不利・不遇になると途端に喚き散らす
そんな時に自分が言っていた言葉をそのまま言われると凄まじく怒り出す人ばかりだった
私やもっとひどい状況の人と同じ人生を歩み同じ状況で同じ苦痛を味わわされた時、その言葉が出てくるか?
間違いなく出て来ないし逆ギレするのがオチ
人は自分が経験した事の範囲でしか物事が分からないのかも知れないけれど、そんなことが言えて通用する程度の苦労や苦痛しかなかった人生だったのか
小さな幸せだの感謝だの気の持ちようだの、その程度の気概で乗り越える事ができた程度の事しか起きていないから平然とのたまう事ができるのか
こちらがそんな人が見ている世界や考えを理解できないように、向こうもこちらの見えている世界が理解できないし想像もできない