他人の小瓶を見ても
「まあ俺には関係ないな」
「この人もきっと救われないだろうな」
「なんの解決にもなりはしない」
そんな冷めた感情ばかり。
そんな時はしれっと見なかったことにする。
誰か別の人が共感したらいい。
それは俺じゃなくても良い。
時々不快になるのは過度の自虐。
どうしようもない、死ぬしかない、死ねばいいよねで終わってるような内容。
どうしたら立ち直れるんだろうね?
辛い辛いで終わったところでどうにもならない。
辛いということでスッキリしてるならそれで良いんだけどね。
毎度誰かが慰めてるのに変わってないところを見るとなんだかなーってなる。
まあここは吐き出すところ。
辛いって言いたいだけなら言い続けてれば良いんじゃない?
俺はそれを憐れみながら、そうならないために頑張ろうと再認識する。
たまに頑張ろうとしてる小瓶を見て応援したくなる。
グズグズ言ってるだけの人間よりもずっと好感に感じる。
そうやって自分と誰か。
誰かと誰かを比べて判断する。
嫌いだ、ムカつく。
そういった感情が俺の死にたいを止めてくれる。
俺も誰かから見たら見苦しい存在だろう。
だがそれでも生きている。
仕事をしてる。
納税してる。
罪は犯してない。
ここは俺の中で守らなきゃいけないラインだ。
故にそこから逃げてるやつ、逃げようとしてるやつは侮蔑の対象となる。
そして自分がその対象にならないためにこうして文字として書き起こす。
そうでもして頑張らなきゃダメなんだ。
みんなが逃げたら誰が社会を回すんだ。
死ぬって言うやつは諦めてくれねえかな。
死ぬって言ったって死ねないし誰も殺してくれねえんだ。
まあ俺もこうして吐き出し続ける。
自分が生きてることの証のために。
死ぬのが悪いことなら死ぬって言葉を否定したっていいだろう。
何かを悪にしなければ生きていけねえんだ。