私は今高校生なのですが私の学校には変な副教科があり、内容は道徳のような感じです。もちろん他の教科のように期末試験にも科目としてあり、私たちはそれがあるとわかっていて学校に入学しています。
しかし最近その先生の理不尽さが目立ってきていると感じ、お手紙を書くことにしました。
まず最初におかしいと思ったのは授業でした。私の学校は中高一貫校で入って四年目になるのですが、高校に入ってから以前まで普通であったその科目の授業でその先生が明らかに大きすぎる声で授業をするようになりました。後ろの人に自分の声が聞こえてないからと先生はおっしゃりました。じゃあしょうがないとなるわけもないほどの大声でひどい時は上の階まで声が筒抜けになったり1時間その大きな音に耐えきれず早退する子も出たりする程でした。流石に早退者が出た際はまずいと思ったのか一時期声のボリュームが下がりましたがそれでもなお叫ぶように授業をしています。コロナ禍は換気のため窓を開けて教室のドアも開けたままでしたが最近では先生は声が外に聞こえるからと窓を閉め切って授業をします。
これだけに留まらず、授業の際はプリントを埋める形で進められるのですが穴埋め以外にも強制的にメモを取らせメモが紙全体を埋め尽くさない場合平常点に1が付けられることもあります。また漢字やカタカナのミスでも点数は減り、カタカナのレがVに見えるや漢字はここははねなければいけないのにはねていないから減点など漢字のテストでさえ指摘されないところまでも減点対象になります。
またその文字チェックはテスト、小テストでも例外ではなく小テストは基本満点または90点以下は再試というものがほとんどなのにも関わらず、意味のわからないところで減点されてしまいます。
しかしそんな教科でも学年評定で赤点を取ってしまえば、留年になってしまうので私たちは必死に機嫌を損ねないように反論すらできません。以前反論した生徒がその学期評定を赤点にされてしまい、もう誰も先生の採点に意義を唱えることができなくなってしまいました。
他の先生に訴えてもあの先生はそういう先生だからとその先生が私の学校出身でかなり重鎮の位置にいるためそう言われ、校長先生などの学校の偉い方やや外部の方が学校を周る日は声のボリュームが下がるので明らかに私たちに対する嫌がらせではないかとさえ思ってしまいます。
このことを母に相談した際社会にはそういう理不尽な人がたくさんいるから人生経験だと取り合ってもらえず、友達ともいつ聞かれているかわからない学校では何も話せず。これがあと2年続くのかと考えると恐ろしいです。ましては受験期に余計なストレスを感じなければいけないのかと思うと頭が痛くなります。
この学校に入ってしまった以上どうしようもないことも耐えなければいけないこともわかっていますし、大人になっても過去が美化されそんなこともあったけどいい経験だったなんて思うかもしれませんが今私が感じている苦しみは消えません。
私が今感じている嫌な気持ちは抑えなければいけないもでしょうか、また私は間違っているのでしょうか。どこにも吐き出せる場所がなく息詰まっていたのでここで吐き出させていただきました。感情のままに書いてしまい、拙い文章になってしまいました。ごめんなさい。
今は頑張るしかないし私が入ると決めた学校である以上自業自得な部分もありますし他のみんなもこれに耐えているんだと思いながら頑張っています。無事卒業したら絶対に反論してやろうと心に決めています。絶対に美化させません。
最後にこの手紙では先生の教科に関することしか書きませんが、先生の進路相談やその他日常生活においても納得できないと感じる部分が多くあります。私は人生で初めてこんなにも理不尽だ!と思う人に出会いました。母の言うとおり社会を知る良い経験にはなったと思います。