修士論文の執筆時期に、D.W.ウィニコットの〈抱えること〉や遊びの理論について考えていて、ふと幼き日のわたしの記憶に最後のピースがぱちんとはまった。
自分が病気になることを選択したのだ、ということを知識的には知っていたし、頭のどこかで気づいてもいたけれど、
13歳のわたしが選び、14歳のわたしが縋り、15歳のわたしが抜け出せなくなった暗く澱んで生ぬるい気持ちの悪い心地よさをどこかで手放ししたくなかった。
あるいは、手放してやっていける自信がなかった。
でも、ばらばらになったパズルのピースをすべて拾い集めて、
いつしかわたしは25歳になって、
自分のためにはじめた学部の卒論研究を発展させていくなかで、
わたしを語るための言葉をたくさん手に入れて、
心身的にぎりぎりになりながらも(何回かもう一度鬱になる寸前までいった)
ここで病気に逃げ込んではいけない、逃げ込みたくない、と力を入れて押し戻って、
わたしはわたしの人生を自分で選んでいくための身体と心の動かし方を知って、自分のものにした。
その中で研究は、きっと定説に大きな影響を与えるであろうところまで成長した。
25歳になって、11年半経ってようやく、わたしはわたしのことを受け入れるだけの身体と心の準備が整った。
きっとここが転回点。
あとは、上っていくだけ。
2週間後の試験に合格したら、博士課程の院生さんになる。お金もどうにかなった。
15万字も論文を書いたせいか言葉の密度が変わってしまって、宛メが今のわたしにはなんだか窮屈になってしまった。
ヤドカリが今住んでいる貝を抜け出して別の大きな貝に移り住むように。
だからもう、小瓶は流さない、と思う。
(わかんないけど)
しがみついていた過去から手を離して、
つかまり立ちの手すりから手を離して、
わたしは、自分の足で歩いていく。
たぶん宛メがなかったらこの未来はなかった。
管理人さんと、これまで良くしてくださった方々(届くかわからないけれど)に、心から御礼申し上げます。
またいつかどこかで!
修論提出明け、七味の効いたうどんを食べながら。
(ストレスのせいか白髪が何本か生えてた…)
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ななしさん
暫く名前を見掛けなかったので、どうしているのだろうと思っていました
そうですか
自ら必要ないと見定めて、ここからはばたいていくのはいい事だと思います
どうかお元気で
ななしさん
修士論文執筆お疲れ様でした。
私はもう学生ではないのですが、うまく行ってない自分の心の中身を知りたくて、心理学や精神医学の本を読んでは思索を廻らしています。
私の好きな著者の本の中でも、ウィニコットがよく参照されていて、いつか原典も読んでみたいなぁと思っていたところです。
知識を得ることで自分への解像度が上がり、自分を語る言葉を得られること、そして自分を受け入れたり手放したりする力が湧いてくること。
しんどい面もあるけど、それ以上に解放感もあるんですよね。
博士過程でも大いに学び、研究を深めていってください。
定説に大きな影響を与える研究…すごく気になります。
死ねない理由が一つ増えてしまった笑
いつかどこかで、りぃふさんの論文や本を読めることを楽しみにしています。
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