物心つくまえ、3歳ごろに母と離婚した父親が自殺した。
小さい頃は離婚しても母の了解を得て離れた家に遊びに行っていた。
養育費を入れてくれなくなり、母もシングルマザー状態と仕事と自身の父母とのうまくいかなさから私に非常にきつく当たるようになった。
「父親に似ていて大嫌い」と言われたことがずっとこびりついている。
私が高校生になったとき、ストレスでいっぱいだった私はちょうど電話をくれた父親に言ってはいけないことを言った。
その時は笑ってなんだなんだおいおいと言っていたが、その後にずっと取っておいたという私の小さい靴とアルバムを送ってくれた。
ちゃんと謝らないまま時間が過ぎて、久しぶりに連絡をもらい、c型肝炎が発症したとのことだった。
病気のベッドで暗い目をしていた。
私が言った酷い言葉、
ここからメンタルがおかしくなっていたようだった。
数年経って、県外に引っ越したと連絡があった。
母は父を嫌っているので一人で内緒で健康にいい食べ物を買ってそれを持ってバスに乗り、会いに行った。
ベッドに居たときより顔色が明るく、笑顔で迎えにきてくれて嬉しかった。
行ってはいけない言葉を言ったことを詫び、連れて行ってもらったお店では全てお金を出した。
最後にアパートへ連れて行ってもらい、笑顔でまた会おうねと言った。
その後も定期的に連絡を取り合い、しばらく楽しい会話が続いたが、ある日「本当は産む予定じゃなかった」「母に対する罪悪感で関わったのだ」「今生活に困っているから少しお金を貸してもらえないか」と言われた。
もう二度と父を傷つける言葉を言いたくなかったが、とても悲しくなり電話を切り上げ、その数日後にかかってきた着信に出なかった。
祖母の介護の合間に吐き捨てるように「用事があるなら文章で送って、バカなの?」と書いた。
返事は返ってこなかった。
数ヶ月経ち、数日前に遺書を残してアパートの裏山で自殺していたと連絡が入った。
あたりさわりのない内容で、一人娘の私については何も言及されていないと言われた。
遺品を整理していたらたくさんの私の写真が出てきたと言われた。
仏滅の日に死んだ。
罪悪感で涙と吐き気が止まらない。
酷いことを2度も言った。
私の冷たい酷い言葉が後押しになったのに違いない。
自殺すると成仏することができないと聞いた。
自殺だから周りにもありのままの死因を言えない。
父と私の会話や関係をあまり知らない家族からはいつまでも泣いて悲劇のヒロイン気取りをするなと言われた。
生活のために仕事を休むこともできないし同僚の人たちに迷惑もかけられない。
だからずっと寝室で1人で泣いている。
せめて最後にアパートで過ごしてバス停で笑顔でお互いに手を振った記憶で終わりたかった。
お金に困っていたならいくらでも出してあげればよかった。
本当は大好きだったのに。
大好きな人を傷つけて着信も無視して放置して一人ぼっちで死なせた、私も消えたい
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