実のところ、愛されたい欲求よりも、愛したい欲求の方が強いんだろうなと、しばしば思う。
インスタで見つけた某ショップの看板猫のアカウント。
来店するお客さんたちが、看板猫をべっちゃべちゃに溺愛している様子が微笑ましく尊い。
出し惜しみなしで可愛がらせてくれる存在が、有難くて仕方がない。
そんな空気感だ。
相手が人間だと、こういうことが不可能なのが哀しいと思う。
人間相手にこういうやり方をするとどうなるか。
相手を依存させるリスク。
依存転じて粘着に変わり、逆恨みされるリスク。
自分の愛情の上に胡坐をかかれるリスク。
胡坐をかかれた結果、今まで好きだった相手に失望して、好きな相手を失うリスク。
そしてまた孤独に陥るリスク。
こういった展開と帰結のすべてが、人間相手だと事前にすっかり見えてしまう。
孤独が嫌で縁を求めたのに、その末路が更なる孤独というこの皮肉。
「家族」がこの典型例だ。
N〇Kの「母親にならなければよかった”?女性たちの葛藤6000 人アンケート結果」というサイト。
ここに、この轍を踏んだ人たちの呪詛が溢れかえっている。
可愛がりたい欲求は仕方がない。
生まれつき自分に組み込まれたプログラムだし、別にこれを否定したり、抗ったりする必要はない。
しかし、そのはけ口の選定は慎重にしたい。
無生物、もしくは動植物に限定する方が賢明だろう。
そうすれば、リスクを回避しつつ可愛がりたい欲求を存分に満たすことができる。
そして、「ただの孤独」を「充実した孤独」に変えてくれる分、人生全体の寂しさの総計も減らしてくれるだろう。
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