私が高校生の時、私の両親は離婚しそうでした。
お互いに嫌味を言ったり、小さなことで話し合いもせずに喧嘩をしたり、傍から見ていてとてもしんどかったです。この2人は本当にお互いのことが嫌いなんだなと思いながら、私は2人を見ていました。
そんな家にいることはとても苦痛で辛かったです。だから私は努力しました。2人が些細なことで喧嘩をしていたら仲裁したり、喧嘩になりそうな雰囲気を察したら話題を逸らしたり、お父さんに「自分の話を聞いて欲しかったら、まずは相手の話を聞かないといけないよ」とアドバイスまでしたこともあります。あとは、お母さんの愚痴も聞きました。支離滅裂な愚痴をちゃんと整理して、何が不安で何を解決すべきか明確にするお手伝いを私なりにしたつもりです。
そして、私は精神を病んで、努力することを辞めました。これ以上続けたら私が壊れると思ったからです。
それから1年くらい経った頃、ふと気づきました。両親の関係が回復していました。仲がいいとまでは行きませんが、お互いの悪い所を認めあって受け入れたような気がしました。
そしてその時私は、私の努力はしなくて良かったことなのかもしれないと思いました。
私が何もしなかったとしても、2人は2人の問題をちゃんと解決できる人だったのだと、実感しました。だったら私が精神を病むまで努力した意味って何だったのでしょうか。
本当は2人に感謝されたいだけです。頑張ったねって抱きしめられたいだけです。でもこんなに頑張ったよって直接言うのは怖いです。
どうしたらいいのかわからないです。
もし死ぬほど努力したことがなんも意味もなかったことだったら、どうやって気持ちの整理をつければいいのですか。
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ななしさん
小瓶主様の努力は決して無ではありません。小瓶主様が限界まで来てしまったのを見て、さすがに話し合いをし、停戦したのだと思います。「子はかすがい」という言葉通りに。
「こんなに頑張ったよ、心が壊れる手前まで頑張ったよ」とストレートに吐き出して良いと思います。僕は部外者ですが、小瓶主様の懸命な取り持ちを無かったことにされてるとしたらそれが一番許せないなと思いました。
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