私は傷をいっぱい負っています。でも、もっと傷だらけの人も知っていて、その人に耐えろなんてとても言えなかった。
心の傷は癒えない。
表面上その場に応じて笑って見せても、傷は痛むんです。
深い傷が今も痛んで、時々同じ痛みがある人に会いたいと思ってしまうのです。
小学生の時、同じクラスに似た環境の子がいたのに、その子は私より近所のクラスメイトに悩みを打ち明けてた。転校してしまったことを母に言うと、そうなりたくないから、おまえたち子供たちのために我慢してるんだと言いました。
子供の私は、私が生まれたせいなんだと思って、いなくなりたいと思いながら日々を過ごしました。
学校で必要なものも買ってと言えない子供。
大人になってからも傷はどんどん増えました。
ネット普及で、遠くの人とも話せるようになって、どこかに似た痛みを持ちながら、隠しながら生きている人はいないか探してしまうのです。
だって、この痛みや傷は、苦しんだ人にしかわからないものだから。
簡単にこういうことがあって、それで、なんて言うこともできません。
同じ思いをして傷ついて苦しんだ、今も苦しみながら生きてるって人なら、わかってもらえるかなって。
結局は痛みはそれぞれのものだから、わかってはもらえないかもしれない。
自分が痛くてたまらない人は、他人のことまで余裕がないのも知ってます。一番最初に書いた人は、苦しみのあまり限られた人しか寄せ付けませんでした。
わかってもらいたい、わかってもらえる人に会いたいというのも、私の愚かな幻想でしょうか。
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ななしさん
人が人のために出来ることなんてほとんどないと思ってます。
痛みは本人にしか分からないから、自分の痛みだけでなく他人の痛みも分かろうとする姿勢が大事だと思います。分かってもらえる人に会えるかどうかは分かりませんが分かりたいと思ってくれる人との出会いがあると良いですね。
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