初めて宛名に、親への愚痴を吐きます。
どこへも行き場がない想い。
私は今日、私を産んだ女性を捨てる。
悲しさの元はいらない。
記憶を忘却し、彼女は『母』という名称の個体として、これより先、私の脳は認識していく。
心が楽になり、きっと胃が痛む事もなくなるだろう。
今生で彼女と同じテーブルについて、話し合える日はこないと断言できる。
親ならば、こうあって欲しいという淡い望みを、私はずっと捨てきれずにいた。
とうに諦めたはずなのに、どこかに残っていた想い。
疲れてしまった。
彼女が内面と向き合い、問題を見据える日が訪れたなら、いつか、同じテーブルについて言葉を交わせる日がくると、心の中に住む幼子が、愚かに待ち続けていた。
私は、『私』に引導を渡す。
彼女の時が止まり、変わり果てても、そんな日は、訪れはしないだろう。
祖母の記憶だけが、唯一、私を支えてきてくれた。
祖母が私に与えてくれた愛情と優しさが、いつも道を照らしてくれた。
私にとっての母と呼べる存在は、今も昔も祖母、ひとり。
それで良い。
彼女は 戸籍上、最も近しい生命体。ただ、それだけの存在。
感謝している。
彼女の体が無ければ、私は今を生きる事はできなかった。
祖母の愛情を得る経験と愛しい我が子ら。
私に身体を与えてくれた事、感謝している。
ななしさん
子供の頃、見つめてきた母。
社会人となり、映りこんできた母。
子を守り育てる同じ立場の『母』となり、判った母という女性。
移り変わってきた視点。私の中に現存する彼女に対する感情は、家族愛ではなく、人類愛。
母という人間そのものを姥捨て山のように捨てる事など到底、出来はしない。
溶かしても溶かしても、彼女の一挙手一投足に凍り、永久凍土化していくのは御免だと、心を切り離し、自分を保ってきたつもりでいた。
人類愛さえ感じない無関心な人でなしに成り下がる前に、心の中に住む幼子を何も感じないよう眠らせる為、『生命体』と認識しなければならないと感じた。
歩みを止める足枷はいらない。私にはやらなければいけない事がある。立ち止まっている暇などない。私は 母だから。私が守るべきは子供らであって、彼女ではない。
彼女は金銭的に安泰している。彼女は彼女の人生を生きている。
私は 『私』を眠らせて、子育てに力を注ぐ。
おばあ