価値について考える。
自分にとって価値があるもの。
価値を感じるもの。
価値って何だろう。
自分が何かに対して価値を感じる時、その何かは自分に対して何らかの役割を果たしてくれている。
例えば、自転車に価値を感じるなら自転車は自転車としての役割を果たしてくれている。
自転車が壊れて、自転車としての役割を果たせなくなったら、自転車としての価値は損なわれる。
自転車としての価値が損なわれたとしても、それ以外の役割を果たせるのならば、壊れた自転車にも価値を見い出すことができる。
そう考えると、価値と役割は密接に結びついているように思う。
子供の頃。
できなかったことができるようになると家族は喜んでくれた。
鉄棒で逆上がりができた時、縄跳びができた時、自転車に乗れた時、その他…。
家族が喜んでくれると安心した。
家族だけではなく、親戚や近所の人、自分が何かをして、それを見た人が喜んでくれるということが嬉しかった。
そして、それは何より、自分自身を安心させた。
将来の夢。
大きくなったら博士になって凄い発明をして皆を喜ばせるんだ。
超能力者になって困ってる人を助けるんだ。
漫画家になって面白い漫画をたくさん描くんだ。
夢はたくさんあった。
どれも誰かを喜ばせたいということに直結している。
一人でも多く、たくさんの人を喜ばせたい。
それは自分の心に理想として根付くことになる。
自分自身の価値。
成長するに連れ、子供の頃に思い描いていた理想と現実の違いを知るようになる。
たくさんの人どころか、今、目の前にいる人さえ喜ばせられないと知る。
喜ぶどころか不機嫌そう。
とたんに不安になる。
自分の価値を疑い出す。
どうしたら喜んでくれるのかを考え、様々なアプローチを試みる。
自分には関係ないことでさえ、自分が何とかしなければと背負い込んでしまう。
自分の役割。
人としての役割、男としての役割、学生としての役割、バイトとしての役割。
果たすべき役割があるなら自分には価値があるのかもしれない。
人生の中で自分が果たすべき役割、今もなお叶えたいと思う理想。
こうして一連で考えると自分の生き方にふと疑問を感じる。
価値や役割に縛られ過ぎている。
そう感じる。
そういったものに縛られない状態は想像することさえ難しい。
縛られないということに縛られているという感覚を覚える。
この世界に生きているということは、それだけで既に生命として誕生するという役割を果たしている。
役割に縛られないようにすればするほどに絡み付く。
そうであるなら、その状態を受け入れることで違う何かが見えるかもしれない。
その違う何かを知る。
それが自分が自分に与える役割。
自分自身の価値。
だから今日も生きる。
ベル