私は大人という存在が怖かった。
特に中学生の時までは、
周りにいる身近な大人がみんな怖かった。
両親をはじめ、祖父母、小学校の先生、
中学校の先生、習い事の先生・・・。
私たち子どもという弱い立場をいいことに、
物のように扱い、上手く操れないとすぐにキレる。
怒りという感情をダイレクトに表し、
怒鳴り散らしてくる。暴力を振ってくる。
父はよくわからないことで怒り、
母からは虐待的なことをされ、
祖父母は目の前で口喧嘩。
学校の先生たちは高頻度でキレ、授業放棄。
どこにいても怖い存在が近くにいた。
高校に入るまで、大人というものは
そうゆうものだと思っていた。
高校生になると少し見る目が変わった。
治安の良い穏やかな高校だったためかわからないが
そこにいる先生たちは誰ひとりとして
そのように感情的に怒る先生はいなかった。
三年間、怒鳴り声など全く聞くことがなかった。
規則に厳しい体育教師が少し注意するだけであった。
バイトを始めてみると、そこにいた店長、
パートさんたちも怖い顔を見せてくることはなかった。
私は、感情的にならず、優しい大人もいること
そこで初めて知り、感じた。
もしかしたら、そうゆう大人のほうが実は多いの
かもしれない。私の周りが異常なのかもしれない・・・。
母からされていたことが虐待だったのだと
気づき始めたのもその頃だった。
他の家庭を知らない、
これが普通だと思っていたからだ。
だからといって、恐怖心は消えたわけではない。
少しましになってきた程度だろう。
今までのトラウマは消えることはない。
特に母の高いヒステリックな声は今であっても
恐怖を感じ、笑っていても普通に話している時でさえ
怒られているように聞こえてしまう。
なぜそんな感情的になって怒るのか私には分からない。
あんなに体力を使って私に怒る大人を見ていると
客観的に見えてきて、面白いと感じ、笑ってしまう。
そんな時もあった。
また、悲しい、怖い、この感情を無くせばいいんだと
思いつき、それ以外の感情も無くしかけた時もあった。
こんなことを書いている私だが、
実は元々短気だった。話し合いで解決を
した事がない家庭で育ったからなのか、
感情のコントロールができず、物にあたり
ぶっ壊していく人間であった。
嫌いな大人たちと同じだなと思ってから
コントロールする力を身につけた。
もう物にあたることはしていない。
しかし、たまに心の中の虎と葛藤している。
私はどのような大人になるのだろうか・・・。